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すべては赤い糸でつながっている 3 No.452004年8月31日

分割統治されたアホで、マヌケな日本の知識人たち

冒頭からこんなことを言ったら叱られるかも知れませんが、主要マスコミに登場する日本の知識人や教授の発言を聞いていると、つい退屈であくびが出てきそうになることが多々ある。サラリーマン以上にサラリーマン化されたメダカの学校の生徒でも眺めているような、何故かそんな錯覚に襲われてしまうからだ。私が思うに、学者やその分野の専門家というのは、なによりも孤独な開拓者でなければならないと思う。そんな風な冒険者であり続けることで、初めて社会に、その存在証明を刻むことが可能となるプロなのだと考える。うまく言えないけど、常にオリンピックに選ばれた代表選手のような気持ちで、常に新たな視点を創造していかなければならない立場にあると思うのだけれど、どうやら現実は違うらしい…。

たとえば日本の政治学者は政治の分野だけを研究し、それ以外のことをほとんど気にしない。そして経済学者は経済学者で、固定観念によって勝手に線引きされた経済の分野だけをきまじめに研究して、陳腐でつまらない誤字脱字のない論文を書き、それで博士号をもらう。とんでもないことを発表して派閥内で問題を起したくないし、感情がすべての閉鎖的村社会で妬まれたくないのである。そんな風な流れに、自分を同化させてさえいれば、日本の場合、一生大学教授として知ったかぶりをして生きていける仕組みになっている。なんとも情けない話である。

そんな風な学者や言論人の保身のために、私たち国民は、この情報氾濫時代に、肝心な真実にはほとんど触れることができない。日本の国民が真実に触れることができるのは、せいぜいマイナーなインターネットのサイトぐらいなのである。どうしてそんなことをあえて言うのかというと、たとえば、「国内の政治」である自衛隊のサマワ派遣の本当の意味を知るためには、「国際政治」であるブッシュの政権を乗っ取っているネオコンの思想を知らなければならないし、「国内経済」である竹中金融大臣の不可解な「不良債権処理」を理解するためには、「国際経済」であるジョージ・ソロスやヘッジファンドの企みを読まないと、ほとんど何も見えてこないからだ。

つまり、分野別に専門家や学者に任せてしまうと、何もかもが藪の中に消えて見えなくなってしまうのである。一枚の大きな地図を、いくつもの小さな断片に切り刻んで、その切り刻まれた断片を、さも真実であるかのように自ら喧伝しているのが、日本の大学教授や学者たちなのである。彼らはせいぜい外来の横文字を、縦に並び替えているに過ぎないのである。だから近い将来、ほとんどペテン師に過ぎない彼らの存在はパワーを失っていくにちがいない。いまや自動翻訳ソフトの精度がかなり優秀になってきているからである。

ところが、そんな風なインチキに一般の私たち日本人は、ほとんど気づいていない。学問の本質がまるでわかっていないアホで、マヌケな学者や言論人も多いが、計算高い大阪商人のような一部の学者は、あえて気づかないフリをすることで、ぬくぬくと御用学者としてメディアの中で生息しているのである。

こういった流れを見過ごすことは、日本の未来を否定することにつながり、暗い未来を暗示することになる。この自己保身のエゴイズムな風潮を肯定していくことは、絶え間なく世界で起こる戦争をなくすための「平和の祭典」としてのオリンピックの晴れ舞台で、ただただ選手が勝つためだけに隠れてドーピングをおこない、恥知らずにもお金で審判を買収したり、あるいは気に入らない相手国をブーイングするような風潮を認めてしまうことと、ある意味で同じベクトルであるように思うのだ。

その一方でとくに気をつけなければならないのは、言論人や学者がアホで、マヌケであればあるほど、国際金融資本にとっては、その国家を好きなように「構造改革」しコントロールするのに、リスクがどんどん少なくなる旨みがあるのだ。だから私たち日本民族が、アメリカやそのプロパガンダから自立するためには、真実を語る数少ない言論人や芸術家を、国際金融勢力や軍産複合体の圧力によって排除されてしまわないように、ほんとうに必死に守らなければならないなあ、と思う。国際金融勢力にとって真実は邪魔なのだ。

そんな風な日本の言論界の異常な閉ざされた状況を、できるだけ日本国民に暴露しようと、私は戦ってきたつもりである。そんなふうな戦いの最初の言論人が、副島隆彦氏だったように思う。私の正直な体験から言って、彼のような存在は、日本の村社会には本当に少ないし、生息していけない嫌らしい仕組みが、至るところに張りめぐらされている。そのあまりにも独りぼっちの孤軍奮闘のさなかで、彼独特の八方破れの、なんともしつこい口調が戦術的に構築されてきたのだと思う。たぶん、彼は仲間内から排除され、その正当性を無視され続けたにちがいない。遅ればせながら拙著の精神主義の物語シリーズや「千葉邦雄のニュースの落とし穴」のコラム等を書くようになってから、私なりに、その孤独さが分かるような気がするんだなぁ。 やれやれ

とにかく、主要メディアやジャーナリズムは、そのスポンサーを選別する自覚を持たなければ、日本が本当に自立することはありえないように思う。私たち国民が目覚めて、主要メディアや政治家を、厳しい目で監視するようにならなければならない。そうすることでしか、私たち国民の、ほんとうの日本民族のための民主主義はやってこないようである。

大和民族はユダヤ人だった?

ブッシュを操るネオコンによって今中東は世界の「火薬庫」になってしまっている。その最大の原因は、ネオコンの主流であるシオニストの思想であり、イスラエルの「大イスラエル主義」であるように思う。ブッシュ政権を支配するネオコンに追従する軽薄な小泉純一郎の意向を受けて、米英占領軍の仲間として日本の自衛隊は、いまサマワでほとんど意味のわからない活動をおこなう羽目に陥っている。このままシオニストの唱える防御のための先制攻撃がエスカレートして行くなら、いずれ核戦争が起きて、刻一刻とハルマゲドンに近づいていってしまいかねない。

そんな危機的な状況ゆえに、あえて少し意外な話に触れてみたいと思う。何かと言うと、つまり、一般に「日ユ同祖論(どうそろん)」と呼ばれている“日本人とユダヤ人は同じ先祖を持つ”という不思議な話について、である。明治維新の激動からまもない1875年(明治8年)に長崎の日の出書房から『日本古代史の縮図』という研究所が出版された。その著者であるスコットランドの商人の仮説によると、およそ日本人は3つの民族から成り立っている。

ひとつは北方ユーラシア系のアイヌ民族、もうひとつは南方系の小人族、そして最後がヘブライ民族であるという。このヘブライ民族というのが、現在知られている「ユダヤ」民族のことである。“聖書”の民として知られるユダヤ人の兄弟が、古代日本にやってきて日本人の一部になった、とマックレオドは主張している。この本が発端となって日本人のみならず、多くのユダヤ人が日ユ同祖論を展開している。

『大和民族はユダヤ人だった』の著者はモサド?

ユダヤ教のラビであるマーヴィン・トケイヤーは『ユダヤと日本 謎の古代史』を著し、そこで日本文化のなかにユダヤ文化に共通したものが多数見られることを紹介しているし、また言語学者であるヨセフ・アイデルバーグは、その著書『大和民族はユダヤ人だった』で、日本語のルーツがヘブライ語であることを主張している。彼は日本の魅力に取り付かれて、表向きは私財で日本文化を研究していたことになっているが、どうやらイスラエルの諜報員モサドであった可能性がかなり高い。著書『大和民族はユダヤ人だった』のリードメッセージにこんなふうに書いている。

「2700年前、アッシリア人によって追放されたヘブライの十部族は、東方の霧につつまれた山のかなたに消え失せ、それ以来、彼らの足跡は発見されていない。追放後、7〜800年ほどたった頃、出所のわからぬ名も知れぬ部族がアジア大陸を離れ、日本の島々に移住した。今日、日本人として知られる、これら古代の移民は新しい地に定着し、永い年月その伝統を守った。この伝統をよく調べてみると、日本人は帰らざるイスラエルの十部族の子孫ではないかと思わせる」

またかのアルベルト・アインシュタインもまた、「日ユ同祖論(どうそろん)」に大きな関心を示していたことはかなり有名で、おそらくその説を信奉していたようである。なぜ彼らユダヤ人は日ユ同祖論に注目するのか。その理由は、はるか古代に、行方不明になったユダヤ人の兄弟がいるからなのだ。しかも「聖書」の預言によれば、いつの日か、彼らが帰ってくると約束されている。ユダヤ人たちは、その「兄弟」を探すことが自分たちの使命であると考えているようなのだ。

「神道」のルーツは唯一神教?

「大和魂(ヤマトダマシイ)」とはよく聴く言葉だが、「大和」とは日本の別称である。古代の大和朝廷に起源を発する呼び方である。しかしいつも思うのだが、「大」を「ヤマ」とか、「和」を「ト」とは普通では読めない。単に「大和(ヤマト)」「倭(ヤマト)」という表記をするように、明らかに当て字である。いったい「ヤマト」とはどういう意味なのだろうか。「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」によると、かつて倭国を支配していたのは「邪馬台国(やまたいこく)」である。普通「ヤマタイ国」と呼んでいるが、本来の発音では「ヤマト国」だという説もあるらしい。

邪馬台国と大和は、実はふたつは同じものなのではないのか。実際に邪馬台国が発展継承されて、大和朝廷になったという説はかなり支持されている。しかし邪馬台国が騎馬民族によって征服されたとなると、なんか変である。征服した民族が、征服された民族の国号を使うことなどありえないからである。大和朝廷が失われたイスラエル10支族の国だとすれば、その国号は当然彼らの民族にちなんで命名されるのが普通である。

このことについて、先ほど紹介したモサドの言語学者ヨセフ・アイデルバーグは、大和朝廷の「大和」=「ヤマト」とは、ヘブライ語の方言のひとつ、「アラム語」で神の民を意味する「ヤ・ウマト」〜「ヤマトゥ」が語源ではないか、と指摘しているのだ。「ヤマトゥ」という言葉は、実際にユダヤ人のあいだで今でも使われている。とくにパレスチナ地方に住んでいるユダヤ人は、自分たちのことを指して「ヤマトゥ」と呼んでいるのである。

確かに失われたイスラエル10支族が日本に新しい国家を建設したとき、国名として「ヤマトゥ」を選んだとしても不思議ではない。むしろ邪馬台国の国名にも近くて、被征服民族にも素直に受け入れられるような命名が戦略として敢えてされたのではないのか、とも推測されるのだ。

紀元3〜4世紀ごろ、中国大陸の混乱を受け、朝鮮半島情勢も不安定になる。北方の騎馬民族国家「高句麗(こうくり)」が南下し、馬韓、辰韓、弁韓の3韓にも脅威を与えるようになる。4世紀中ごろ、いよいよ混乱が深まり、ついに3韓が滅亡し、それぞれ馬韓から「百済(くだら)」、辰韓から「新羅(しらぎ)」、弁韓から「伽耶(かや)」が成立する。しかもこのとき、辰王は朝鮮半島を南下して伽耶へといたる。伽耶に拠点を移した辰王であるが、北方からの騎馬民族の脅威が収まらないことを理由に、進路をさらに南へと向ける。ようするに、海の向こうの倭国である。

辰王は持ち前の騎馬民族の機動力を背景に、ついに日本に上陸し、そのまま北九州の倭国を占領し、自らの支配下におく。5世紀に入る頃、ときの辰王は東に進出し、その圧倒的な戦力で畿内(きない)に攻め込んで征服することで西日本を完全に支配し、ここに大和朝廷が生まれることになる。神話上では、九州出身で畿内に攻め込み、大和朝廷を最初に開いたのは「神武天皇」ということになっている。

ところが戦後、歴史学は実証主義を重んじ、存在を証明できないような神話や歴史は史実ではないと考えるようになり、神武天皇の存在そのものが存在しなかったという説が、学会のほぼ一致した見方となったようである。神武天皇ばかりではない。続く8人の天皇の存在もいまや否定されている。記紀を見ればわかるが、この8人については、具体的な物語さえない有り様である。ようするに架空の天皇をでっち上げたために、それにまつわるエピソードも記すことができなかったのである。よって本当の意味での初代天皇は、第10代崇神(すじん)天皇であるというのが学界の定説のようである。

しかし彼は北九州に上陸しただけで、大和朝廷を開いたわけではない。第15代応神(おうじん)天皇が畿内(きない)へと進出し、ここで王権を確立したようである。事実、応神天皇以下の前方後円墳は、巨大な権力を象徴するように超巨大である。ところが歴史学者の井上光貞氏は、応神天皇こそ、朝鮮半島から直接渡来してきた大王であるという学説を主張し、「応神天皇始祖論」を大々的に展開している。

また「天照大神」の謎等の多数の関連著書を共著で書いている飛鳥昭雄・三神たける両氏の説によると、「神武天皇=崇神天皇=応神天皇」は同一人物であり、「神」という諡号(しごう)をキーワードに持つものは神話の中の存在として扱ってよいとして、『多次元同時存在の法則』を適用してみせている。たとえば九州から畿内へ進行してきた業績を見ると、神武天皇の東征ルートと応神天皇の東征ルートは一致している。「神」というキーワードのもと、神話として扱っていいから、両者は同一人物ということになる。

ようするに日本における最初の天皇は応神天皇であって、それ以前の天皇はすべて応神天皇の「投影」に過ぎないということになる。この論法に従うと、日本の神道は、結局のところ、不思議な魔法によって多神教の装いを施されてはいるが、実際のところ、そのルーツは唯一神教ということになってくるのである。 やれやれ

もしかして親父ギャグのオンパレード?

応神天皇はもともと朝鮮半島の大王であるから、騎馬民族の血を引いている。4世紀、北方から騎馬民族が襲来し朝鮮半島が混乱すると、応神天皇は伽耶(かや)にあった国を、そのまま九州に移動させた。自らが従える国民を、ことごとく日本に集団移動させたかもしれない。もちろん九州には先住民がいるから、なんの問題もなかったはずはない。しかし圧倒的な軍事力を誇る応神天皇にとって、おそらく倭国はとりに足りない国であった可能性が高く、その気になれば倭国の先住民をことごとく虐殺してしまうこともできたはず。

ところが応神天皇はそうはしないで、先住民をやわらかく懐柔し、自らが婿入りすることで倭国と連合を果たし、その結果として「王」として君臨することを成し遂げたようである。もちろん相当に抵抗はあっただろうが、入り婿であることとハイテクな軍事力の前に、おそらく先住民の現実的な妥協がおこなわれたにちがいない。たぶん、これが大和朝廷の成立の真実の歴史である可能性が高いということである。

もし応神天皇が失われたイスラエルの10支族だったとすると、それに続く天皇家は、皆イスラエル人の血を引くものとなる。天皇は「帝(みかど)」とも言われている。「帝」と書いて、「ミカド」である。日ユ同祖論者の小谷部全一郎(おやべぜんいちろう)氏は、その著書『日本及び日本国民の起源』のなかで、「ミカド」は本来「ミガド」と発音したことを指摘し、これを「御ガド」と解釈。「ガド」とは、失われた10支族のひとつ、「ガド族」のことであると主張している。

またユダヤ人のラビ(聖職者)、サミュエル・グリーンバーグは「ミカド」の「ミ」とは、ヘブライ語で「〜出身」という意味であると指摘し、「ミカド」とは、まさに「ガド族出身の者」のことであると断言している。そしてさらに先の小谷部全一郎氏はガド族の始祖ガドの息子の「ツェフォン」にも注目している。翻訳によっては「ゼホン」とも表記されるが、実際の発音は「エッポン」「ニッポン」であるといい、これが「日本」の国号「ニッポン」になったというのだ。

なんだか現代の私たち日本人には、趣味の悪い親父ギャグのオンパレードのような印象を受けるが、騎馬民族説と重ね合わせると、なんだかジョークで片付けられなくなってくる。記紀によると、伽耶に「任那(みまな)日本府」があった。江上波夫氏によると任那(みまな)とは天皇家の宮家であるらしい。ようするに日本府があって、後の大和朝廷である日本が成立することになったというのである。実際、これを裏付ける記述が『旧唐書(くとうじょ)』に、こんなふうに書いてある。

「日本国は倭国の別種なり。その国、日辺にあるをもって、ゆえに日本をもって名となす。あるいはいう、日本は旧小国、倭国の地を併せたりと」

ところが不思議なことに、朝鮮側の資料には何もないのだ。日本府という言葉はおろか、任那(みまな)という国名さえ一切存在しない。そんなわけで韓国の学者たちは、任那はもちろん、日本府も実在しなかったと見ている。ようするに記紀がインチキを書いているというわけなのだ。ところが最近になって、伽耶諸国の「主浦」という地名が任那ではないかと考えられ始めたということである。主浦は朝鮮語で「ニムナ」に近い発音をする。これが日本語に転訛して、「ミマナ」となり、「任那」という漢字を当てはめたのではないかというのである。

江上氏は「任那」=「ミマナ」を「ミマ・ナ」と分解する。朝鮮語で「ミマ」を大王、「ナ」は国であると解釈。任那とは「大王の国」の意味であるとして、ここが騎馬民族の大王、辰王の国であると考えたようである。ようするに日本という国名は、騎馬民族に由来する。その騎馬民族が失われたイスラエル10支族ならば、「ミカド=ガド族説」や「日本=ツェフォン説」もまた可能性が十分でてくる。その物的証拠のひとつが「前方後円墳」なのだ。

前方後円墳の不思議

古代日本に突如出現した巨大な前方後円墳。これは騎馬民族の被征服民に対する王権の誇示と考えられる。そうでもなければこんな馬鹿げたサイズのものをつくる必要は考えられない。この巨大な古墳は絶対的な王権のシンボルにまちがいない。ならば、このデザインの意味は何を意味するのか。確かにこれはなかなかの「謎」である。頭の中をまっさらにして、前方後円墳の形をじっくり眺めてほしい。

前方後円墳は、単に円墳と方墳連結ではない。よく見ると、両脇に耳のような小さな出っ張りがあるのだ。専門的には「造り出し」と呼ばれているが、正確な機能は不明である。この「造り出し」に注目しながら、前方後円墳を逆さまにしてもう一度眺めてみてほしい。円墳の部分を下にして形をよく見ると、何かしらピンとこないだろうか。

つまり、これは把手の付いた壺によく似ているのだ。日本にやってきた騎馬民族の大王は、皆壺を王権の象徴と考えたようである。これはただの壺ではなく、王権のシンボルとしての神器として考えてみなければならない。そうすると世界史上、壺を神器として明確に位置づけた民族はひとつしかない。それは他でもないイスラエル人である。彼らには三つの神器がある。ひとつは絶対神ヤハウェから受けた戒律を記した「十戒石版」、ひとつは「アロンの杖」、そして最後に「マナの壺」である。このマナの壺が、前方後円墳のモデルなのだ。しかし、これはとりもなおさず、応神天皇がイスラエル人であることを証明するまぎれもない証拠になってしまう。

イスラエルの三種の神器は皆「契約の聖櫃アーク」の中に収められていた。ところが、ある時、これが十戒石版だけになる。

「箱の中には石の板2枚のほか何もなかった。この石の板は、主がエジプトの地から出たイスラエル人と契約を結ばれたとき、ホレブでモーセがそこに納めたものである」

この記述は、かのソロモン王の時代のことである。すでにこのときアロンの杖とマナの壺は、他の場所に移されていた。いったいどこに?残念ながら『旧約聖書』にはその記述がない。しかし、ユダヤの古い伝説によると、三種の神器の内、マナの壺はイスラエルのある支族に継承されたという。その支族が「ガド族」ということらしい。

ソロモンの亡き後、古代イスラエル王国は分裂した。そして十戒石版のはいった契約の聖櫃アークはもちろん、アロンの杖、そしてマナの壺は行方不明になってしまったのである。まったくもってわからなくなってしまったのである。それがなぜか、エルサレムを遠く離れた極東の地、この日本にマナの壺をモデルにした古墳がある。そしてその王は、マナの壺を継承したというガド族にちなんだ「ミカド」という称号を名乗っているのだ。

日本民族の隠された「使命」

ユダヤ人ユダヤ教徒は、スティーブン・スピルバーグの映画『レイダース』の主人公インディ・ジョーンズ博士と同じように、血眼になって契約の聖櫃アークを探している。イスラエル共和国の諜報機関「モサド」が組織的に探索していることは、もはや公然の事実である。世界中、契約の聖櫃アークの噂のあるところ、必ずモサドが出没している。

あのノストラダムスも契約の聖櫃アークについて、かなり関心を持っていたようである。いろんな表現で契約の聖櫃アークの予言をしている。

「実は西にいた者たちにより呼びだされ、神殿に隠される

場所の秘密も、同じように隠され

飢えた徒党は、神殿を開くだろう

略奪するが、再び取り返される、その中で恐ろしい祈祷が」(『諸世紀』第10章81番)

イスラエル人のノストラダムスにとって「宝」といえば神器であり、それを収めている契約の聖櫃アークに他ならない。また「神殿」といえば、イスラエルの神殿である。だが隠した場所が秘密だというところから、これは第3神殿ではない。かつて西にいた者が運び、神殿に安置し、それが一般の人間の目から隠される…。

秦氏はユダヤ原始キリスト教徒であり、伊勢神宮はイスラエルの絶対神ヤハウェを祀る神殿ということになる。西アジアにいたエルサレム教団が契約の聖櫃を運びだし、日本の伊勢神宮に隠したらしい。ノストラダムスの予言の内容は、これと見事に一致する。だとすれば、いつの日か、飢えた徒党となった輩が伊勢神宮にやってきて、聖櫃のアークを略奪する。だがそれは伊勢神宮の神職たちの呪いの祈祷によって、再び取り返されるということらしい…。

まあ、そんなわけで、最後にアインシュタインが講演の中で語った言葉を、再び引用したい。

「 世界は進むだけ進んでその間、いくども闘争がくりかえされ、最後に闘争に疲れるときが来るだろう。その時、世界の人類は必ず真の平和を求めて、世界の盟主をあげねばならない時が来るにちがいない。その世界の盟主は武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を超越した最も古く、かつ、尊い家柄でなければならない。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰り、それはアジアの高峰、日本に立ち戻らなければならない。我らは神に感謝する。天が我ら人類に日本という国を造っておいてくれたことを… 」

この日本には、隠された大きな秘密がある。私たち日本民族には特別な役割があり、どうやら、その時期がヒタヒタと近づきつつあるようである。

 

 

 

《主な参考文献および記事》

(本記事をまとめるにあたり、次のような文献および記事を参照しました。ここに、それらを列記して、著者に感謝と敬意を表すると共に、読者の皆様の理解の手助けになることを願います。)

★大和民族ユダヤ人説の謎を追う! ヨセフ・アイデルバーグVS松本道弘 (たま出版 1992)

★大和民族はユダヤ人だった ヨセフ・アイデルバーグ 中川一夫訳 (たま出版 1984)

★失われた契約の聖櫃「アーク」の謎 飛鳥昭雄・三神たける共著 (学研 1999)

『終』

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