失われたマトリックスを求めて 2
No.41【2004年7月14日】
個人主義プロブレム
今回は世界の政治的な流れから少し距離を於いて、私たちが受けてきた戦後教育の欠陥について触れてみたい。このことについては、今後も折に触れて扱っていきたいと思う。私自身、中学の時になんだか毎日が空虚な気がして、「生きる意味って何ですか?」といきなり担任の先生に質問したことがある。少なくとも思春期の私には、とても重要で切実な問題だったのである。それに対して担任の英語の先生は、反射的にこう切り返して来たのだ。「そんなことを考えている暇があったら、英単語のひとつでも余計に覚えろ」。ようするに進学指導最優先の教育である。
そのひと言で、私は無理やり沈黙させられてしまった。どこにでもある陳腐な風景である。その瞬間から、たぶん世の中に対して何かしら異邦人のような違和感をずっと抱き続けてきたような気がする。だからパレスチナやアフガンやイラク等のアラブ諸国のイスラム人の気持ちが、とても分かるような気がする。零落し、理解してもらえず、自分たち民族の声を聞いてもらえないことからくる自暴自棄な、なんともいえない無力感に、彼らもまた襲われているにちがいないと思うのだ。そして戦後の日本人も同じように、人類の歴史の根幹に関わる生きる意味を、私たちは学校教育の中で奪われてしまっているのだ。
すべてを物質に還元してとらえる科学主義的な世界観は、すべての中心に個人主義がおかれている。それを要約すると、「あなたは自分が複雑な存在で、生きていることに意味があると思っているけど、そんなものは単なる感覚中枢神経を流れるホルモンの問題であって、物質の働きにすぎないんだよ。だからモノに過ぎないあなたは、死んだら、もとのバラバラなモノに解体してしまうんだよ」と説得されることになる。みんながバラバラに存在していて、しょせんは皆一人ぼっちで寂しく死んでいく運命で、死んだら最終的にすべて無に帰して完結するという物質文明の思想であり、それが結局のところ、戦後日本の悲劇のキーワードともいえる個人主義プロブレムなのである。
そういう世界観を真面目に受け止めれば受け止めるほど、だんだんと自虐的になるというか、シラけるというか、生きる活力そのものを崩壊させられてしまう流れになっている。この「神はいない。死んだらバラバラの意味のない物質になるだけ」という世界観は、正直な話し、どう生き延びるかというサバイバル技術どころか、どちらかと言えば「生きる意味なんてもともとないんだよ」といった具合の、むしろ「死に方の指導」をしている教育指導要領といえるものなのだ。
まあ、そんな流れゆえに、とりあえず拙著である
『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』
の物語の中から一部を引用するところから始めてみたい。この物語の主人公である雅章(マサアキ)が、浜辺で腰掛けているシーンからスタートする。
愛の使者との別れ
ビーチ・パラソルを砂浜に突き刺し、ディレクター・チェアにゆったりと腰掛けて、かれは水平線を眺めた。しばらく何も考えず、雅章は水平線だけをただじっと眺めていた。しだいに水平線と自分との境界線が失われはじめた。潮風がやさしく撫でてくれているのを、いま幸せに感じているのは、水平線なのか自分なのか判断がつかなかった。そして何処からか風の囁きのように心地よい声が聞こえてきた。幼い頃母が耳元で歌ってくれた子守唄のように、それは遠くからまどろんだように聞こえてきた。
自然とともに流れていき、
静かにものの道理に身をゆだねなさい。
愛の終わりであれ、季節の終わりであれ、
頭を垂れ、それを受け入れるのよ。
そして、内なる富を求めなさい。
本当のあなたは、これまで憧れていた誰よりも、
また何よりも、ずっと偉大な存在なのよ。
これは聖なる自分が、あるがままのあなたを受け入れるようにと、
ささやいているのよ。
そう、あなたは今のままで、すでに完全な存在なのよ。
それを、決して忘れないことよ。
「ずいぶん気持ちよさそうね?」はっきりとした現実的な聞き覚えのある声が、今度は雅章のすぐそばで聞こえた。深い井戸の底からロープに繋がって地上の明かりに向かって一生懸命昇っていかなければならない、まさに雅章はそんな気分だった。
「大丈夫?ちゃんと聞こえている?」声の聞こえてくるほうに、とにかく雅章は意識の焦点をしぼった。いつのまにか卑弥呼がすぐ傍に並んで、かれと同じようにディレクター・チェアに座っていたのだ。かれが瞑想の世界に入ってしまっていたせいかもしれないけど、とつぜん魔法のように現われたとしか思えなかった。
「あなたは思ったより進歩したわよ。これ、お世辞じゃないわよ。約束通りひとりで何とかやっているみたいだし、成功を扱った物語のほうも順調に進んでいるみたいだし、本当のところ、ここまであなたがやれるなんて思ってもいなかったわ」卑弥呼はにっこり微笑んでから、早口でそう話した。雅章は『どうしてそんなことまで…?』と言おうとしたけど、やっぱり言葉は一言も喉から出てこなかった。
「いいのよ。あなたが おし
になったのは知っているのよ。どうしてそんなことまでわかるのかって言いたいのでしょう?盗聴器と隠しカメラがあなたの家にセットしてあるのは、当然知っているわよね?」雅章は首を傾げてみせた。
「そういう説明じゃ不充分?そう、わかったわ。そろそろ秘密を明かす時期がきたのかもしれないわね。でも悪いふうにはとらないでね。社長はあなたのことが心底気になっていたみたいなのよ。もうはっきりいうわね。実は…あなたの知っているビッグバンは、わたしの勤めている経営コンサルタント会社『ビジネスの意志』の社長でもあるのよ。もちろんそれだけじゃなくて、わたしの魂の導師でもあるわけなの。あなたに近づいたのも、すべて導師の指示に従った行為なのよ。これで全部よ」卑弥呼は、雅章の顔を覗きこむように見た。それを聞いた瞬間、雅章は驚く気持ちよりは、むしろ謎が解けたような気持ちになった。それに、もしそれがビッグバンのしたことなら、それは本当に必要なことだったに違いないのだ。いまの雅章は心底ビッグバンを信頼していた。だから彼の表情には疑問符は浮かばなかった。
「あなたの反応をみて安心したわ。わたしの役割は、思ったよりずっと早く終わりに近づいたみたいね」卑弥呼はそう言うと、ラークを取り出して吸いながら、目を細めて海を眺めた。雅章はアイスボックスから缶ビールを2個取り出して、プルリングを引いてから彼女に勧めた。二人はビールを飲み、すてきな夏の海を眺めた。雅章は言葉ではいえないほど満たされた気持ちがした。自分が不能で
おし で、家族さえもいないのに、だ。
「これが、わたしがあなたにする最後の話になると思うのよ。たぶん…」卑弥呼はそういうと、缶ビールをグーと一口飲み、それから水平線に目を向けたままゆっくりと話し始めた。かれもビールを飲んだ。そしてプレミアを吸いながら卑弥呼の横顔を見つめた。そこにはとても知的で、かつ日本的な美しさが漂っていた。
「ほら、あのかもめ達を見て!」卑弥呼はそういって、空の一方を指差した。そこにはかもめ達が大きな群れをなして、海面ぎりぎりのところを飛んでいるのが見えた。群れ全体が左に曲がり、次にいっせいに右に旋回し、そして一気に高度を上げた。まるでひとつの心を共有しているかのように見えた。
「今のかもめ達の一羽一羽は物理的には離れているのだけれど、実は結びついているのよ。目には見えない
ある エネルギーが彼らを結びつけ、ひとつのもののように動かしているのよ。もちろんあなたもわたしも、この目に見えないエネルギーによってすべてのものとしっかりと結びついているのよ。このことを悟ると、わたし達は皆バラバラだという考え方から抜け出せるようになるのよ。だからいったんあなたがこころの中ですべてのものとの結びつきを確信すると、あなたは、あなたの至高なエネルギーを使って他の人々と交信できるようになるのよ。ユングがいうように、わたし達は皆、無意識のレベルでは共通であり、その無意識の奥ふかくではお互いに密接に対話しているのよ。だからといって、もちろんあなたが独立した存在でいられないというわけではないのよ…。」
「もしもあなたが、これまで誰も考えつかなかったようなアイディアを思いついたとすると、あなたがそれを思いついたお陰で、他の人も直ちに同じ考えを持つことができるようになるの。お互いに結びついているのは、わたしたちが同じところからきたからなのよ。
あなたの肉体はいまここに存在しているけど、あなたの体の成分は太古の昔からあるものなのよ。わたし達は、すべての小宇宙や恒星と同じように、ひとつの圧縮された場所から爆発して広がり出たわけなの。だからわたし達は太古から今日までずっとひとつなのよ。宇宙の光はひとつだけれど、プリズムで分解すれば色はさまざまだわ。地球の水はひとつだけれど、多くの渇きを癒すことができるわ。
もちろんわたし達人間の本質もひとつだけれど、さまざまな姿となって現われているのよ。目に見えないからといって、結び合わせているものが存在しないことにはならないのよ。自分は他の人とはちがうという物質文明の嘘を捨てるのよ。
そうすれば、あなたはすべての人を敬うようになるわ。そしてそれはやがてまちがいなく愛へと変わっていくのよ。だから、あなたに『事故』や『悲運』なことが起きたとき、これは宇宙の創造する「知的なシステム」があなたに何かを教えるための暗示として捉えるのよ。そして運命が何をあなたに手渡そうと計画しているのかを、注意深く観察するようにするといいわ。
これはすぐには受け入れがたい考え方かもしれないけど、とても重要なことなのよ。だから、あなたがその教えを学んでしまえば、あなたの物理的な世界にトラブルは消滅してしまうのよ。もう何の苦労もなく、思うことはすべて現実化するようになるわよ。こういう伝説の言葉があるわ。
人間が神を発明したのではない。
人間は信念を創り出したのだ。
すでに存在している神に出会うために…。」美しい詩を語るように話し終えると、卑弥呼はディレクター・チェアから立ちあがった。どうやら彼女の去る時間が近づいたらしい。雅章は何かいいたかったけど、やはり言葉にはならなかった。卑弥呼は、かれのそんな反応を気にもとめてないようだった。かれは謎の答えを求めるように、卑弥呼の澄んだ瞳を食い入るように見つめた。
「あなたの愛の浄化は、ほとんど終わりに近づいてきているわ。もうすぐすべてが終わるのよ。ようやく、あなたにも愛を知る準備ができたということね。すべての限界を超えた新しい境地に達しようとする人を、正しい道に導くのが、わたしの仕事であり、わたしの目的なのよ。でも、はっきりいってあなたと一緒にその道を歩むことはできないのよ。あなただって自分の手でドアを開け、自分の足で勝利の道を歩まなければ何の意味もないって思うでしょう?」そういって卑弥呼はそよ風のように微笑むと、くるりと背中を向けて砂浜を去っていった。
私たちは「神の子」
この拙著
『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』
の物語のなかで、とくに私が伝えたかったキーワードは「生きる自信」である。かつて日本人は、霊や天地自然や神仏を信じており、「家」や「村」や「国」の価値をはっきりと信じていた。そしてそういうものへの信仰を強く持っていた故に、精神的にもとても強かった。私たちが普通に感じるような「自信」よりはるかに強い信念を、自分も含めた周りの世界に関しても持っていた。
彼らにとっては、自分は「神の子」であり、天地自然の加護を受けており、子孫のために一生懸命生きたら、死後は祖神の世界に帰っていくという自分を超えた大きな自然の力、つまりマトリックス(母胎)にいつも自分は支えられ、見守られていると信じることができた。人類学や宗教社会学などでは、体系的な宇宙観のことを「コスモロジー」と呼ぶ。語源的には古代ギリシャ語の「コスモス」と「ロゴス」の合成語で、「宇宙観」或いは「世界観」といって意味になる。例えば古代日本には、現実の上には「高天原(たかまがはら)」があり、下には「黄泉(よみ)の国」があるという世界観が当たり前に定着していたのである。
そういった世界観を信じていると、「悪いことをすると地獄に落ちるから、悪いことをしちゃいかん」「いいことをしたら、まちがいなく天界や極楽にいけるから、いいことをしなくっちゃ」と思うことになる。これはシンプルで、とても説得力がある。そういった日本の伝統的な世界観では、人間は死ぬとまずアラタマというまだこの世に未練を断ち切れない魂の状態になる。それで子孫たちがそれをなだめるために一生懸命お祈りをしていると、しだいにニギタマ(和霊)という魂になっていき、四十九日も終わり、一周忌も終わる頃になるとだんだん祖霊化していき、四七回忌までしてもらうと祖霊はついに親神になることができる。つまりだんだん個体性を失いながら、私たち子孫を見守る「神」の存在になっていくと信じられている。
そういった世界観(コスモロジー)を大勢が信じていたからこそ、悪いことをしてもどこかで神仏が見張っているし、バチがあたるし、地獄にいかなければならない。そもそもそんなことをしてはご先祖様に申しわけない、と考えていたのである。だから明治以前の日本人は、全体として現代の日本人よりもとても真面目だったようである。もちろん「死んだら無になる」のでも「私がいちばん大事」なのでもない。
最近の私たちの個人的な欲望やソロバン的な見方からすると、「おじいちゃんの人生ってなんだったのだろう」と思えたりもするのだが、本人の話を聞く限りにおいては、なにも不満を感じていないどころか、「私の人生はとても幸せだったよ」と言い切る。朝夕に仏壇に手を合わせ、神棚の前で拍手を打つ。あるいはお天道様に向かって「おばあちゃんは先に行っていて、私もそのうち行くんだよ」と言いながら手を合わせたりする。そんな風な行為が生活の一部になってしまっているお年寄りを、皆さんも身近にご存知だと思う。そこには深い意味での幸せが確かに「存在」し、穏やかでかつ揺るぎない自分に対する「自信」のインフラというか、マトリックスがあったように思う。
私たちの身体は150億年の歴史を持った宇宙製?
宇宙に関する標準的な仮説、「ビッグバン」説に従うと、宇宙は150億年ほど前にひとつの凝縮されたエネルギーの塊だった。それが爆発的に拡大し始めたのだという。ところがエネルギーの拡がり方が不均衡だったために、広がっていくうちに、やがてクォークができ、原子核のもとになる陽子や中性子や原子のもとになる電子ができ、それからやがて原子核ができ…そんな風にしてエネルギーがだんだん物質に変容してきたらしい。
つまり一番もとになるものをたどっていくと、原子でも素粒子でもなく、ひとつのエネルギーということになる。ようするに海にたとえるなら、ひとつの海がバラバラに分離した波になったわけではなく、ひとつの海のままで、この波、その波、あの波といった具合に区別できる表面的な形を現しているにすぎない。
宇宙で最初にできたのは原子核である。原子の模式図に従うと、中心に原子核があって、その周りを電子がまわっているというモデルを中学のときに教わった。その中心の核をなしているのは陽子と中性子である。水素はいちばん最初にできた原子で、原子核1個と電子1個でできている。
ということは私たちの体の中に、まず何よりも水というかたちで水素原子が入っていることになる。その他の原子は、水素の1個だけある原子核が核融合によって二つ結びつくとヘリウムになり、その後何個結びつくかによって酸素になり、炭素になり、窒素になるという具合である。ようするに私たちの身体は隅から隅まで宇宙製であり、150億年の歴史がまるごと刻まれていることになる。まず宇宙は水素の霧である星雲を生みだし、それから星を生みだし、星から銀河を、そして私たちの天の川銀河系を生みだし、その銀河系の中から太陽系を生みだし、最後に地球を生みだしたのだ。
その地球上に多様な生命を繁殖させることで、心というものを持った高度な動物を生み出してきたのである。この流れのどれかひとつが途切れたとしても、いま私たちは存在しなかったのである。私たちはサルやバクテリアの子孫なのだが、また星や銀河の子孫でもある。私たちの身体を構成する物質はかつて宇宙を作り上げた物質であり、私たちは、まさしく星の子なのである。だから私たちがどんなに落ち込んで「自信」を失っていたにしても、現代の最新の量子力学の目から見ても、私たちひとりひとりが150億年の宇宙の努力の成果であることは間違いないのである。そう、私たち人間は皆、それほど素晴らしい存在なのである。私たちはこんな大切なことを、日本の学校の授業でも、もちろんマスコミからも先生方からも教わらなかったのである。そんなわけで、ここでもう一度、拙著の精神世界シリーズの第2作目の物語
『永遠なる日本が見える我が家のパーフェクト・ビーチ』
のかけらを、少しだけ引用してみたい。
愛の交信
「どう、 彼女 とは上手くいっている?」卑弥呼は久しぶりに雅章の顔を見たので、思わず、そう聞いた。妻の雨音のことを
彼女 って呼ばれたのには、いくぶん違和感を感じたけど、それでもつい反射的に笑顔で雅章は頷いてしまっていた。とにかくどうしても教えてもらいたいことができて、彼女の人里離れた森の奥の別荘まで訪ねてきてしまったのだった。あんまり深い森のなかにあるので途中なんども道に迷ってしまった錯覚にとらわれたのだ。
「あなたに教えてもらったおかげで、かなり進化したつもりだったんですけど、日常の生活リズムで生きていると、せっかく教えていただいた愛の概念というか、愛の認識に
確かに触れた つもりだったのに、あなたとかビッグバンにしばらく会わずにいると…いつのまにかまたどんどん希薄になってきて、人生の目的が再びはっきりしなくなってしまったんです。そんなわけで…ここのところ、すっかり自信がなくなってきているんです。本当に自分でもわけがわかりません」ずっと気にかかっていたことを、雅章は恥も外聞もなく思い切って聞いてみた。
「あら、ずいぶん自信のない声ね」卑弥呼はだだっ子をなだめるような口調で言う。それから耐熱ポットからティーカップに紅茶を入れると、雅章の前に置いた。
「その気持ちよくわかるわ。誰もが通る道だから…わたしだって、つい最近まであなたと五十歩百歩だったのよ」
「安心させるための嘘はやめて下さい」雅章は不機嫌になっていう。
「嘘じゃないわ」雅章の態度には取り合わないで続けた。「わたしのほうが練習回数が多いだけよ」
「はあ?言っている意味がわかりません」
「あなた、最近なにかに励んでるものある?」
「ゴルフと水泳を、それなりに励んでる」
「なるほど。それじゃとりあえずゴルフを例にあげるけど、あなた、スイングやパットを一度で上手くなった?」
「からかわないで下さい。男ならバケツで3回ぐらい殴られてますよ」
「でしょう!誰だって練習しなきゃ、絶対に思いどうりのコースに飛んでいかないわよね。時には十年以上も練習に耐えないと、まともな物にならない場合だってあるわよね。違ってる?もし違っていたら遠慮なくいってちょうだい。いいわね?」卑弥呼はそういうと、雅章のほうを見た。雅章は向かっている方向をまるでつかめなかったけど、とりあえず頷くことにした。
「わたしたちが生きている世界は外面の世界、資本主義の世界だから、自分を常に外面的なもの―肉体―としてのみ考えていくように仕向けられてるのよ。『何かを考える』なんて面倒なことは、頭の中からすっきり忘れ去ってしまっている。目に見える確かな物質世界だけを信じて動くように洗脳されている。そして競争社会で物質と名声を奪い合い、業績をあげるために一生懸命はたらき、支払いを済ませ、富と財産の獲得による物質的な成功を、それのみが人生の目的あるかのように、
闇の意志 によって毎日耳元で囁かれる。他に何がある?…てなわけよ。わたしたちが生きている社会は、そういう尺度で一切合切動いているわけ。だから、たとえあなたが少しばかり
愛の意識 に触れたとしても、貴方に強靱な何かがなかったら、 そんなもの 、あっという間に火星の彼方まで吹き飛ばされてしまうってわけよ。やつらは本当に甘っちょろくないわよ。
わたしたち現代人が、目に見える物質的な考え方からどうにも離れらなくなってしまったのは、周囲とうまく調和するからというただそれだけの根拠で、まるで主体性のない生き方がすっかり染み付いてしまったのよ。それこそが闇の意志の陰謀だということに、まるっきり気づかずに、ね。このわたしだって、ふつうの感情を持った人間だから、
進化の後れた低い次元の魂 が頭をもたげてきて、見ることも、触れることも、匂いをかぐこともできない『霊的な世界』を感じ取ろうとするのを、いつも徹底的に妨げにやってくるのよ。だから『心の世界』を
強く信じる強度 を維持するためには、何度も何度も反復し、練習するしかないのよ。言っていることわかる?」
「あなたやビッグバンに出会う前よりは、それなりにわかるようになったつもりです。でもやっぱり『百聞は一見にしかず』という物事の外側に住む習慣が身体に染み付いてしまっているのです。それなりに
信じることで見えてくる世界を体験した にもかかわらず、です。こんなレベルで、本当に真実の物語作家としてやっていけるのでしょか?」雅章は情けなさそうに言う。
「ちっかりちなきゃ、オッパイあげまちぇんよー」と卑弥呼は赤ちゃん言葉でいうと、まるで本物の赤ちゃんをあやすみたいに、バブバブバブバブと雅章に向かっていってみせた。卑弥呼のあまりにも突拍子もないメタファーに、まるで自分のあそこをナイフか何かで切り落とされたような気分だった。卑弥呼はそんな雅章を見ながら、大きくため息をついた。
「もちろん、あなたの気持ちはわかるわよ。わたしのバイブルにしている『
A Course in Miracles 』 ( 奇跡の学習コース
) という 著者のいない書物 に、こう書かれているのよ。
《この世は異常である。この異常さを決して見くびってはいけない。あなたの見渡す限り、この異常さに蝕まれていないところは何処にもないのである》
まあ、そう言うことだから、とにかく幸福で恐れのない人生を想像し、あなたが本当にやりたいことを実現しやすくするためには、ピアノを毎日何時間か練習したり、ゴルフのバッティングセンターに通って何度もスイングを繰り返すことで能力が上達するように、心の霊的な世界でイメージトレーニングをすることで、
霊的硬度 強めていくしかないのよ。
その結果として人々に愛を感じながら、現実に実現したいと思うことに意識を集中させるのがうまくなってきて、
自分好みの偶然 を引き寄せることがついに可能となるのよ。これこそが自分の運命の創造であり、それを何度もくりかえして体験することによって、
信じれば見えてくる世界 の強力な信者に、あなたは進化していくことができるのよ」
「そう言えば、確かにぼくが意識を集中していたときに…ふいに妻の雨音が戻ってきたし、本も突然出版されることになって…なんだか
運命を創造 したような気分でした。でも、これって過激な表現かもしれないけど…霊能者への学習コースみたいですね?」
「確かに、そうとも言えるわね。でもそういう表現をすると、まだまだ誤解されることのほうが多いわよ。わたしは精神分析や心理学が専門だけど、この世界の専門家の中にさえ、オカルトや超能力なんて言葉が出てくるだけで、急になんだかまがまがしい物を見るような目つきになってしまうのよ。最近はさすがに以前より少なくなって来ているとはいえ、まだまだ拒否反応を示してしまう学者達のほうが多いのよ。
でも、そんなことをあなたが気にすることはないわ。あなたはすでに五感で捉える世界だけが唯一の世界でないことを理解しているのよ。わたしたちは戦後の資本主義の世界の中で、物質である肉体としての自分しか見つめなくなって、霊的なわたしたち、
もうひとつの大切な分身 のほうを忘れ去ってしまったのよ。この霊的なわたしたちは肉体と共に共存するエネルギーなのよ。
見ることも、触ることもできないからといって、存在しないってことの証明にはならないわ。物質的な世界だって突き詰めていくと、無限の宇宙のような空間で素粒子だけが踊っているに過ぎないのよ。そしてさらに突き詰めると素粒子はなくなり…最後にはエネルギーだけが存在しているのよ。これが私たちの五感がとらえる
現実の真実の正体 なの。結局のところ、 霊的なものがすべての根源 なのよ。わかるわよね?」卑弥呼は優しく、それでいてとても穏やかな声で雅章にそう語った。なんだか卑弥呼の背後に誰かが――高遠で永遠の意志のような存在がいて――彼女にそう語らせているような感じだった。卑弥呼の目が透明に輝いていた。雅章は何だか熱いものを感じながら、卑弥呼に頷いてみせた。
「闇の意志や欲望は人は皆バラバラであり、物を獲得すればするほどわたしたちは皆幸せになると、あらゆる時と場所でうそぶくけど…、ユングはこう言っているわ。
《わたしたちは無意識のレベルでは共通であり、その無意識の世界の奥深い場所でお互いに交信しているのである》と。さらにケン・キージの《百番目のサル》にはこんなふうに書かれている。
日本の海岸の沖合いで、サルの群れの一匹が海水で芋を海水で洗う。するとまもなく群れのすべてのサルが同じように海水で芋を洗い始める。一定数のサルがこんなふうな行動をとると、まったく接触のない地球の裏側にいるサルの群れが同じ行動をとりはじめる。
この目に見えないエネルギーによってすべての生命が結びついていることがわかると、わたしたちが皆バラバラであるという闇のエゴイズムがつくりだした
孤独という幻想 から抜け出せるようになるのよ。このすべてのものとのつながりと真理を確信すると、あなたも霊的なエネルギーを使って、他の人々と、いや全世界の人と素敵な交信、つまり
真実の愛 を交わすことができるのよ」
卑弥呼はそういって席を立つと、窓辺に近づいていった。その瞬間を待っていたかのように森の木々から数十羽の白い小鳥が空にめがけて飛び立った。まるでひとつの心を持っているかのように左にゆっくり旋回しながら隊列を整えると、一気に今度は左上に急上昇して、ふたりの視界から消えていった。
私、千葉邦雄の誕生日は7月28日である
この拙著の精神シリーズ物語
『永遠なる日本が見える我が家のパーフェクト・ビーチ』
で言いたかったテーマも、やはり自虐的な気持ちをはねのけて、ついに生きる自信を、マトリックス(母胎)を回復する物語なのである。たとえどんなに可能性のない状況に見えても、こころの中に常に豊穣さを持ち続けることができるなら、エゴイズムの象徴である闇の勢力は、私たちにエイリアンのように寄生することに失敗して、この物質的な目に見える現実世界でも、その霊的なパワーをしだいに失っていくのである。
ようするに百番目のサルのように、私たちの純粋な願いである豊穣さが「臨界点」を越えたとき、闇のエゴイズムに突き動かされた現実世界のブッシュ大統領や小泉純一郎の捏造されたパフォーマンスの威力が、やはり同じように急速に萎え始めるのである。そしてマイケル・ムーアを応援する力が、どんどん強くなってきている。
ところで私、千葉邦雄の誕生日、7月28日が近づきつつある。とはいえ何も予定がないので、このコラムを愛読されている方は、せめてメールだけででも、この千葉邦雄の誕生日を祝っていただきたい。
《主な参考文献および記事》
(本記事をまとめるにあたり、次のような文献および記事を参照しました。ここに、それらを列記して、著者に感謝と敬意を表すると共に、読者の皆様の理解の手助けになることを願います。)
★ 生きる自信の心理学 岡野守也 (
PHP 新書 2002)
『終』
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