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クォンタムな世界 No.52003年10月8日

純粋な潜在力の場

クォンタムという言葉は「どれくらいの量」を意味するラテン語に由来し、粒子のようなものの最小単位を表しています。光子はそれ以上小さく分割することができないので、光のクォンタムといわれています。電子の流れがタングステンの原子をたたくと光子が出現します。電気の流れの中で動いている電子が、タングステン原子の周りで軌道上を旋回している電子とぶつかり、その衝突で光のクォンタムである光子が飛び出すのです。クォンタムは質量がゼロという非常に変わった粒子ですが、ここで重要なのは、光の波動が、光子という物質になるには、ニュートン法則では考えられなかった未知の領域で、魔法の変換が行われなければならない。

量子物理学が生まれたとき、古い物理学の直線は同じように変化してU字型の迂回路が現れました。かって自然のあらゆる現象は古典的なニュートン理論に従ってテーブルの上で起こるように見えましたが、迂回路を考えなければ説明できないことがいくつも出てきたのです。

最もわかりやすい例は光です。光は、波動のようにも、粒子のようにも振舞うことができます。波動は非物質的なものであり、粒子は実体のあるものなので、ニュートン物理学ではこの二つはまったく別のものだとされています。しかし光は状況によってどちらのようにも振る舞えるということがわかったのです。そこで境界の下のほうに迂回路を考えざるを得なくなったのです。

思考と神経ペプチドも同じ関係になります。あなたが小指を上げたいと思う ( A ) と、生理学者はまず神経伝達物質 ( B ) を追跡します。神経伝達物質はインパルスを活性化して神経のネットワークを走らせ ( C ) 、筋肉の細胞がこれに反応し ( D ) 、その結果あなたの小指が上がる ( E ) のです。しかし生理学者は自分の説明できる何ものをもってしてもAからBへ渡ることはできないのです。どうしても迂回路が必要になります。この図はバケツリレーの消防隊に似ています。各消防士は自分の前の消防士からバケツを受け取りますが、最初の消防士は誰からも受け取っていないのです。体をいくら細かく分割していっても、そこで思考が分子に変容する正確な分岐点にたどり着くことは不可能です。それは、光子が光の波動に変わる分岐点を見つけることができないのと同じことです。その「奇妙なゾーン」で何が起こっているのか、物理学でも医学でも誰にもわかりません。

 たとえばDNAを例にとってみると、あらゆるクォンタム現象と同じように、何か説明できないことが水面下で起こり、DNAという全知の英知を形作るのです。DNAが不思議なのは、それがクォンタムのように変換点に存在しているということです。DNAは新しい命を作り出しながら一生を送ります。

DNAは常に、クォンタムの世界からのメッセージを私たちの世界のものに変換し、新しい情報を新しい物質に結びつけているのです。DNAを原子からさらに細かく電子、陽子などの粒子に分け始めると、そこからクォンタム現象が起こってくるはずです。そうでなければ、生命は無から――物質もエネルギーもない空虚――からできているという厄介なことになってしまいます。形ある粒子をある点を越えて細分すると、無しか残らないのです。

クォンタムのレベルでは物質とエネルギーは、物質でもエネルギーでもない何かから生まれます。物理学者はこの根源的な状態を「特異点」と呼ぶことがあります。それは時間と空間の制約を受けない抽象的な存在で、宇宙の膨張した次元を全部圧縮したものです。ビッグバン説では全宇宙がひとつの特異点から一気に飛び出したように考えられています。この特異点は、この世でもっとも小さいものよりさらに小さい点にたとえることができます。

イギリスの物理学者デーヴィッド・ボームなど現代の理論家たちは、あらゆるリアリティが存在する「不可視の領域」を想定せざるを得なくなっています。どこで何が起こっているかを一瞬で把握できる領域です。こうした理論に深く立ち入らなくとも、不可視の領域がDNAの背後にある英知とひじょうに似た響きをもっており、またどちらも心とよく似た動きをするということがわかるでしょう。心は私たちの発想すべてをあるべき場所に蓄えている、いわば静かな貯水池であり、発想はそこで正確に組織され、概念に組み立てられたり分類されたりしているのです。

人間の心は特別なものです。心はクォンタムというリアリティを作り出し,同時にそれを経験できるのです。クォンタム現象は光の波の中で起こればまったく外的な出来事のように見えるかもしれませんが、私たちの思考や感情、希望の中にも同じようにクォンタムというリアリティがあるのです。『人生に奇跡をもたらす7つの法則』の中でディーパック・チョプラは、こんな風に述べています。

(長めの引用文を転載開始)

「法則とは、まだ現れていないものが現れるプロセスであり、観察するものが観察されるものになるプロセスであり、見るものが見られるものになるプロセスであり、夢見る人が夢を現実化するプロセスです。

すべての創造物、物質的な世界に存在するすべてのものは、現れていないものがそれ自身を現れたものへと変容させた結果なのです。私たちが見ているすべてのものは、知られないものから生まれています。私たちの物質的な身体、物質的な宇宙――なんであれ感覚器官によって捉えられるものすべて――は現れていないもの、知られていないもの、見えないものの、現れたもの、知られるもの、見えるものへの変容です。

物質的な宇宙は、〈自己〉がそれ自身の中で、それ自身を霊、心、そして物質として体験するために、変容させたものにほかならないのです。別の言葉でいえば、すべての創造のプロセスは、それを通して、〈自己〉あるいは神がそれ自身を表現するプロセスです。働いている〈意識〉は、生命の永遠の舞の中で、自分自身を宇宙の物質的対象として表わすのです。

すべての創造物の源泉は神(またはスピリット)であり、創造のプロセスは働いている神(またはマインド)であり、創造された対象が物質的な宇宙(それには物質的な体も含まれています)なのです。

こうしたリアリティの三つの要素、すなわちスピリット、マインド、体、または見る者、見るプロセス、見られるものは、本質的には同じものなのです。

それらはすべて同じところ、すなわち、決して現れることのない純粋な可能性の領域から生まれているのです。

本質的な状態においては、私たちは純粋な意識であるという事実に基づいています。純粋な意識は純粋な潜在力であり、それはあらゆる可能性と無限の創造性の場なのです。純粋な意識は、私たちの霊性的な本質です。無限でまったく縛られていないので、純粋な喜びでもあります。意識のその他の属性は、純粋の知識、無限の沈黙、完全なバランス、無敵さ、単純さ、そして至福です。これが私たちの本性です。私たちの本性は純粋な潜在力のひとつなのです。

あなたが自分の本性を発見し、自分が本当には誰なのかを知れば、 それを知ることそのものの中に どんな夢でも実現できる力があるのです。それは、あなたがその永遠の可能性であり、かってあり、今あり、やがてあるすべてのものの計り知れない潜在力であるからです。

生命の数え切れない多様性の底には、すべてのものに浸透しているひとつのスピリットの 統一性 が潜んでいるからです。あなたとこのエネルギーの場に分離はありません。純粋な潜在力の場は、あなた自身の〈自己〉なのです。そしてあなたが自分の本性を体験すればするほど、純粋な潜在力の場に近づくのです」

(転載終了)

 私たちの奥深くには、無限の可能性を持った統合された場が存在する。この夢のような場所には、まったく新しい体験がまっている。ここにたどり着くことができれば、私たちは奇跡をいつでも起すことができるのだ。現実の世界で、あなたが求めていることすべてを実現することが可能となるのだ。ウエイン・W・ダイアーがその著書『自分の中で奇跡を起す』の中で、こう述べている。

(転載開始)

「この素晴らしい場所に限界は存在しない。ここにいれば、あなたは自分が常にあるべき時、あるべき場所に正確にいると感じるだろう。底は、さまざまな人と、信じられないような関係≠結べるところである。そして人生の歩みの中で、必要なときに必要な人と出会うことができるのもここだ。

あなたの人生に繁栄と物質的な豊かさをもたらすのに必要なものは誰であれ何であれ、ここに現れる。体調を崩したときに癒してくれる正しい処方箋もここに現れる。また、必要な本や資料が、まるで目に見えない神秘的な力で引き寄せられるようにあなたの人生に入ってくるとすれば、ここにいるからにほかならない。

この高い意識の世界では、『謎』は姿を消していき、人生の目的が自分にとって大変明確になっていく。また、あなたの人間関係はぬるま湯的な関係でなく、精神的に支え合う新しい段階へと神秘的な変化をとげる。仕事の上でも自分の努力が『流れるように進行』し始めるので、しだいに迷わず決断を下せるようになる。また、体の毒素も抜けていくので、肉体的にもずっと健康になっていくのである。

この高い意識レベルを創り上げる方法をいかにあなたにわかっていただくか、著者である私の努力はこの一点だけに集中した。ここで改めて、精神的な人間と、非精神的な人間という言葉の意味を確認しておこう。私がこの言葉を使うときには、宗教的な思考がその人にあるかないかはまったく関係ない。これはよく覚えておいてほしい。精神的な人間とは、物理的な次元だけでなく、目に見えない次元への自覚を持っており、非精神的な人間とは、物理的な世界にだけ生きている人を意味している。

 マザー・テレサは『神の愛のために』の中で、《愛の果実は思いやりのある行為、すなわち奉仕である。私たちが創られた目的は唯一愛し愛されることなのだから、奉仕こそ神への愛である》との旨を述べている。だからといって、私は何も聖職者になれといっているわけではない。しかし、人生を豊かにするのは、財産ではなく、他の人々に何を与えることができるかで決まることを知らなければならない。

 非精神的な人にとって現実とは、今まで異常にがむしゃらに働いたり、苦しんだり、目標を設定したり、あるいは達成された目標の先をさらに目指したりして、弱肉強食の社会を生き抜こうとする。当然のこととして、より高い自己へ至ろうと答えを求めたり心の状態を空にしたり、お経を唱えたりして、静かに自己の内側を見つめて時を過ごす。こうしたことは、非精神的な人間にとっては気違いじみたことだ。

もちろん瞑想の訓練などは、現実逃避に過ぎないと思うのだ。ところが精神的な人間にとっては、これこそ『人生の奇跡』を体験できる新しい人生への序奏なのである。瞑想することで、自分の思考が明確になり、ストレスが和らげられることを知っているのである。それは精神的な人間になる大きな喜びのひとつが、冥想で学ぶ新しい世界だといえよう。気分は軽く、喜びは増え、皮肉なことに以前よりずっと生産的になるのである」

(転載終了)

人生を変える鍵は「意思」である

私流の独断で、身勝手な編集が加わっているために、オリジナルのページ順とは違ってランダムにあちこち飛ぶかも知れないけど…もう少しウエイン・W・ダイアー博士の言葉に耳を傾けてみよう。

(転載開始)

「私は、これまでに人生のさまざまな面で悟りを体験したが、その一つは貧しさと関係があった。私は貧しさを意識しながら成長した。買い物はすべてバーゲンで買っていたが、欲しい物にきりがなく、満足したことがなかった。そして三十代の頃には、自分は決して金持ちにはならないだろうから、浪費をやめて一般的な中流生活を望むのがいちばんいいと考えていた。頭の中は、何が足りないのか、いかに金を慎重に使うかということでいっぱいだった。

つまり、飢えてはいなかったけれど、欠乏という意識の犠牲になっていたのである。内側の見えない信条が私を支配し、私の世界をそのように創り上げていたのだ。

ところが、瞑想の最中に悟ったのである。『あなたはあなたであるだけでもう充分なのだ』と言う声が聞こえてきたのである。

この言葉で、突然すべての見方が変わった。私は、ちょうどひどく迷っている時だった。収入が保証されている大学の教師にとどまるか、 自分のために 働いてその成果を見るか。しかし、その悟りの瞬間、私にはもう何も必要ないとパッとわかったのである。『わたしは十分に物を持ったことがない』という見方から、『私はずっと守られるだろう。だから、もうそんなことに人生のエネルギーを費やすことはないんだ』という考え方に180度変わってしまったのだ。

こうした悟りは、人生のどんなときにも起こりうるのだ。ただし、あなたが心を開いて進んで身を任せる気持ちになれば、である。

人生の現実は無言であなたに語りかけてくる、と精神的な導師はみな言う。そうした語りかけの言葉を聞くには、ただ信じて、静かに自分の心の声に耳を傾けること。自然にゆだねる姿勢で導きを待つことだ。目的ある人生を送る能力が自分にはあるのだ、と全面的に受け入れるのだ。自然に身をゆだねる気持ちなしに、その瞬間はないのである。明日も未来も考えず、『今、この瞬間』に身をゆだね、次への一歩を踏み出すのだ。この一歩が、むずかしく見える変化を可能にするのだ。

 あなたの考えや理想は、決して無意味なとりとめのないものではない。あなたの思考は、あなたが創るのだ。そして、思考が意志を作り、意志が現実を創るのだ。だから、『心の内の理想像などに大きな意味はないかもしれない』といった疑いの気持ちをまず無視すること。そして、思い描くイメージが、今の自分の現実であるかのように行動する練習をしなさい。自己欺瞞じゃないか、という人がいるかもしれないが、これこそ、自分が決めつけている限界を打ち破る唯一の方法なのである。

 多くの人は、成功や充実感のもとは、欲や願いや希望や空想だと思って育ってきている。だから、意志に基づいた経験が現実を創るという考え方には、なじみが薄いかもしれない。しかし、つまらない欲望は停滞を生むだけなのだ。行為にエネルギーを送り込んでくれないのである。

あなたの魂のエネルギーは意志であり、意志があなたの具体的現実とのコンタクトをとっているのだ。だから、今のあなたが誰と付き合っているのか、毎日何をしているのか、他人をどう思っているのか、どんな体形をしているのかなどは、すべて意志の表われである。行動のエネルギー源として、あなたの意志がどの程度なのかを示しているのだ。

自分の意志を自覚することは、精神的な人間としての自覚につながる。意志は、何が目的かを知ることと同時発生的である。教育者として、親として、あるいは運転者として……何の分野であろうと、与え、奉仕し、愛することに焦点をあてた自分の目的を知れば、意志はおのずからついてくる。

自分のまわりには、自分と似た価値観の人がいるのに気づくはずだ。あなたが高い価値観や精神性を持っているとすれば、それはあなたの意志の反映である。世の中を与える場としての捉え、他の人々のよさを見る目を持てば、あなたに与え、返したいと思う人に多く出会うだろう。そしてあなたは心から感謝し、また他の人々に愛することを広めるのである。

一方、その反対もある。できるだけ多くを自分の物にしたいと思っていれば、強欲で力を求める人に多く出あう。そして、自分と同じ心の人とつき合うたびに、余計強欲になっていくのだ。

つまり、人生を変える鍵は意志にあるのだ。希望や願望といった ものぐさなエネルギー を、行動や意志の活発なエネルギーに変えることが必要なのだ。

あなたがこれまで行なってきたことは、すべて意志の結果である。そして、自分の内で発生する意志の責任は自分にある。つまり、自分の世界は、自分が責任をとる以外にないのだ。『人生の奇跡』を求めて、心の状態を準備するときには、このことを決して忘れてはならない」

(転載終了)

「主観時空の世界」で願望は叶えられる

こう言った展開になってくると、今までの科学では収拾がつかない状態になりつつある。今までの物質中心の低次元の科学に対して、心を入れた高次元の科学を設けることがどうしても必要になってくる。そうすることによって、今まで説明のつかなかった 不思議現象 を解明する道が開けてくるのだ。

だが、科学の世界では、今まで心の存在は認められなかった。信念の強い人が、信念の力によってスプーンを曲げて見せても、そんなことは科学的にはありえないと完全に無視されるだけだった。ところが、高次元の世界で、心が科学の対象と考えられるようになると、どうして心の動きによってスプーンが曲がるのか、信念とはいったい何か、信念はなぜ物体に対して影響力をもつのか、ということが本気で考えられるようになる。

今まで、心を科学的に解明するということはほとんど行なわれなかったが、高次元とは《心の世界》であるとなると、物質の世界である三次元、あるいは四次元の世界とはまるで違う世界であるということがわかってくる。

低次元の世界では括弧とした物体というものがあり、物体があれば、一つの物体と他の物体との間に空間が生じることになる。また一つの物体から他の物体に行くのには時間がかかるから、時間も生じてくる。この空間、時間は誰にとっても同じ大きさ、長さももっている。 だから客観性がある。 客観的時空の世界が低次元の世界の特徴である 。

 これに対して高次元の心の世界では、物質は存在しない。心というものは、まことに波のようにつかみ所のないものであり、空の世界であるといえる。だから物体は何も存在しないが、心は存在する。

 この低次元と高次元の関係は、肉体の体と心の関係にたとえることができる。低次元は体に該当し、高次元は心に該当する。当然人間の体の中をいくら探しまくっても、心はどこにも見つけることはできない。心は物体ではなく、形を持たないからである。では心は存在しないかというと、そうではなくて、体の中にあることは誰でも信じて疑わない。しかも心が動き変化することによって、体も動き変化する。体に対して、こころが主体であり、心が原因であり、心が体を支配している。

ということは、心の方が次元が上であるといえよう。つまり心は高次元であり、体は低次元であって、体はいつも心によって振り回されていることになる。

心が体の中にあると考えられていることからもわかるように、高次元がどこにあるかという疑問に対しては、《高次元は低次元と同じところにある》ということができる。つまり高次元、低次元といっても、まったく別のところにあるわけではなく、同じところにあって、ただ心の作用の仕方が違うにすぎないのである。

ここで、経営心理学の第一人者である松本順氏の著書『気と宇宙エネルギーの科学』の中からも、少し引用してみよう。

 (転載開始)

「心の働きには、 意識 ( 現在意識 ) と 変性意識 と 無意識 との三つの状態がある。つまり低次元では、心はもっぱら 意識 の状態で働いており、高次元では心の変性意識、ないし無意識の状態で働いていることが解かってきたのである。

だから高次元は、心の世界であるといっても、意識が働く世界ではなく、変性意識が働く世界である。そして変性意識が働いているときは、人間は宇宙意識に近づくことができる状態なのです。

もちろん、高次元の世界に物体はなく、宇宙エネルギーは充満しており、宇宙意識が、宇宙エネルギーに働きかけて、イメージに描いた物質を作っていくところの、見えざる世界が高次元の世界であり、ここで出来上がったものが低次元の世界で物体として形をあらわすことになる。

だから高次元の世界は、五感で見た場合は、物質は何もない真空の世界といってもよい世界で、時空はもちろん存在しない。だが、変性意識状態になったときには、時空として姿をあらわすこともあるが、こういうときの時空は、私たちの主観に大きく影響されて姿を現わすようになる。

たとえば、巨人軍の旧監督の長島氏が現役時代、バッターボックスに立つと、球が止まって見えることがあったという。ゴルファーが、夢中になってスウィングしているとボールがひどく大きく見えることがあるという。射手が弓を引いていると、的の黒点が大きく見えることがある。

このように、人間が真剣になり、必死になって変性意識状態に入ったときには、その人の望むようにボールが遅く見えたり、ボールや、的の黒点が大きく見えるというように、物体や時空が変容をきたすようになる。

しいていえば、高次元は、《主観時空の世界》ということになる。つまり、高次元の世界は、本当は意識では見えない世界である。

だが、変性意識状態に入って、《直感》を働かすと見ることができてくる。ボールが遅く見えたり、ホールが大きく見えたりするのは、変性意識状態に入って 直感で見ている わけである。

変性意識状態に入った例として、いくつかの例を挙げてみよう。これは墨田区の食品会社の社長秘書である梶原宗徳さんの例である。

『私が中学二年生のとき、学校である場所の《光景》を見ることがありました。そのとき、私はただの錯覚だと思い、大して気にとめませんでした。

その時に、私が見た光景というのが、だだっ広い大草原の中にどこまでも続く広い一本道が延びており、あたりは豊かな水があふれ、小さなクリークが流れ、野生の馬が栗毛をなびかせながら駆け回っているというものでした。私自身この光景を記憶した覚えはなく、なぜここまではっきり覚えているのかわかりませんでした。

ただ、1988年三月、私は友達とアメリカのフロリダ州エバーグレーズ国立公園にいく機会があり、そこで私は六年前に見たあの光景とまったく同じ光景に出合ったわけです。こういう現象はわりと頻繁に私の周りで起こり、少なくとも十ヵ所以上はその類の《光景》を見てきました。ただし、アメリカのフロリダというとんでもない遠方の地で、私の経験した白昼夢が実現されたのには驚きました。

中学生のときといえばもう一つ、私はある日、《茶色の髪と金髪の、二人の外国人の女の子と話をしている自分》という光景に出会ったことがあります。あれはやっぱり二年生のときで、十三歳だったと思います。中学二年生のころの私は勉強が大嫌いで英語はもちろん、一番嫌いな科目でした。

ところが、その光景の中で私自身が英語で、外国の女の子たちと話しているではありませんか……あの時は本当に夢だと思いました。茶色の髪と金髪の二人の外人女性が登場すること自体がバカげていますし、私自身、想像力の豊かな中学生としての自覚しかなかったため、そう思ったのでしょう。それなのにこの光景も現実化してしまったのです。

十三歳のとき私が見た光景で、私が話していた二人のアメリカ人女性たち――一人は茶色の髪、一人は金髪の女性に、二十歳のときに巡り合うことができました。金髪の女性が出ビー、茶色の髪の女性がミッシェルといったのを覚えています。このときの写真は撮影し、今も私のアルバムの中にしまってあります。ちなみに私はアメリカの大学を卒業し、日本に帰ってきました。当時の私を知っている人は誰もこの事実を信用しません。単位を七つも落とし、どうしょうもなかった私が、アメリカの大学を卒業するとはさすがに信じられないのでしょう。しかも、私は経済学専攻者の中でbQの成績で卒業したのです』

 私たちが、高次元において、強烈な信念を持って欲することをイメージ化すると、この願望を実現するのに必要な情報や材料が引き寄せられ、願望のとおりに形成され、低次元にも姿を現すようになる。

ということは、低次元の世界で起こるすべてのことは、それ以前に、高次元の世界で起こっていることであって、これが低次元に現れて初めて、これに気づくことができるのである。

梶原さんの場合も、いつもあるとき突然、高次元との心の波長が合うようになり、それと同時に、高次元の世界が見えてくると思われる。

というのは、前に述べたように、高次元ではいろいろの現象が低次元で起こる前に起こるからであって、私たちが何かの拍子に高次元を覗き見ることができると、低次元でこれから起こることを、事前にみることができるようになるのである。

つまり、たびたび繰り返すが、高次元の世界は、心の世界であり、 原因をつくる世界 であるということになる。そしてこの世に現れる事象は、まず高次元の心の世界で起こって、それからある時間的な経過を経て、三次元の世界に表れてくるのである。これはちょうどインキュベーションに似ている。インキュベーションというのは、鳥が卵を暖めて雛をかえすことで、ある現象が三次元に起こるためには、その 現象の卵 ともいうべき《宇宙意識的な人間の想念》を、現象として低次元に現れるまで、高次元で暖め続けることと同じだからである。

こうして低次元に現れてくるあらゆる現象は、高次元において、まず 想念の目 として芽生えてくる。そして、この想念の目とは、私たちの抱くイメージにほかならない。私たちがイメージを意識で描くことは、高次元において、想念の目を温めることになる」

(転載終了)

 現代人が皆、くだらないTV番組から目を逸らして、こういう事実に気づくことができると、私たちは新しい真実の人生の旅に、旅たつことができる。

 

『終』

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