メインストリームの物語 No.4【2003年9月13日
】
逃げ水を追いかけ続ける日々
我われは幸せになるためには、いつも何かをしなければならないと思っている。たぶん、そんな風な教育が資本主義の基本なのだ。豊かになるためには技術を身につけなければならないし、それなりに社会人として懸命に働かなければならない。社会から認めてもらうには、やらなければならないことが山ほどある。
当然お金もそれなりに稼がなければならないし、時代の流れから落ちこぼれないために、いろんな物を次々と消費しなければならない。その上自分の属するささやかな組織の中で調和していくために必要な決まりや慣習が、それなりに掃いて捨てるほどある。そんな具合に自分の住む社会で幸福で豊かになるためには、どうしても外に向かって様々な物質的な物を求めなければならない仕組みになってしまっている。
その結果として、何らかの目標が達成できるまで、幸せは、しばらくお預けということになってしまう。いつも楽しみは現在から、目標を達成できるまでの未来に先送りされ、目の前からはかなく逃げていってしまう。
もちろん、これらの発想には罠がある。何故なら、世の中は常に儘ならないものだから、だ。それらの目標を、何らかのトラブルが起きて達成できないかもしれないし、まだ手にもしていないものを手に入れないと幸せになれないと思うことは、まず何よりも自分で幸せを創造する能力を放棄することになってしまうからだ。
幸せになりたければ、安定したければ、愛されたければ、成功者になりたければ、まずこれこれのことを達成し、これこれの資格を獲得しなければならない。そんなふうに我われはマインドコントロールされ、騙されてきた。
いま資本主義の権化、アメリカ主導の世界
(パックス・アメリカーナ)がほとんどパーフェクトに確立されようとしている。その上世界中の国々がアメリカのような国になろうとしている。つまり、経済主権をしっかり持った国ということである。きれい事を抜きにした世界の経済主権は原子力産業と兵器産業と麻薬産業である。地球全体をひとつのカラーに染め上げようとするグローバル思想、つまり、それが略奪と専制によって不動の国家を構築するための基本思想なのだ。
ようするに、欧米にとって兵器と麻薬はドル箱産業なのであり、国家を支えている基本構造なのである。とくに民主主義とアメリカンドリームは、あくまでショー的な見せかけで、引き剥いた話、お金を独占する者はさらに金持ちになり、底辺では
300万人ものホームレスが虫けらのように人知れず息を引き取っている。そしてその2ヵ月後には、アメリカンドリームを夢見た新たな移民300万人を、自動的に他国から仕入れる仕組みになっている。これを際限なく繰り返せば、すべてはうまくいくってわけなのだ。これが資本主義の権化、アメリカ合衆国の偽らざる姿といえる。兵器や麻薬が消費されてお金を大量に生み出されるためには、どうしても戦争を起さなければならないし、人間の一生のサイクルをかなりスピードアップして消費されなければならない。そんなわけで麻薬や戦争は「死の産業」として、資本主義社会には必要不可欠なものなのだ。
一方日本では、小泉首相の見当違いな経済政策の犠牲となって多くの中小企業が次々と倒産している。そんな状況を、待ってましたとばかりに外資系の不良債権ビジネスグループと弁護士連中等は、雨後の竹の子のように会社が潰れるのを、いまかいまかと涎をたらしながら、まるでハイエナのように待ち焦がれている。
これが資本主義社会の現実なのだ。
ところで、もう一度話を心の幸福の問題に話を戻すと、しなければならないことがあると信じている間は、どうしてもそれが何なのかを知ろうとし、次にそれを実現しようとして悪戦苦闘してしまう。その奪い合いの果てに、必ず葛藤が起きることになる。目に見えるものに価値をおく世界では、目的達成こそが真理となる。生き甲斐を目標達成におくと、結果的にその旅の過程では、ずっと満たされない思いでいなければならなくなる。
お陰で今日もまた雑多な仕事に小突きまわされ、ほとんど無意味と思われる会議に延々と付き合わされる。さらに成果があがっていない等と勝手に決めつけられて、無神経な上司に、人目も憚らないで大声で怒鳴られる。挙句の果てに、陰湿な表現でリストラまで匂わされて、まるでぼろ雑巾になったような気分におちいってしまう。終いには、自分自身がミイラのようになってしまったかのように思える頃、ようやく退社の時間をむかえる日々。
結局のところ、毎日がそれの繰り返しだったりする。大なり小なりはあっても、サラリーマンとはそんなものかもしれない、と思い込む。そんな風な、ソンビーになったかのような日常からついに引退する日を、誰もが心待ちにしてしまう。
そして当然の成り行きとして、その時こそ、素晴らしく快適な理想の日々が送れると、誰もが本気で信じ込む。
しかし残念ながら、それもまたとんでもない勘違いといえる。それで手に入れることができるのは頻繁な医者通いと、まるでヴァーチャル空間を彷徨っているような空虚感だ。そしてもしあなたが運の悪い星のもとに生まれていれば、ガンによる死の宣告ということさえ有り得るのだ。
こんなこと、皆にわかに信じないかもしれないけど、人間の生命システムが組み込まれている我われの
DNAは、ちっとも快適さを求めていない。むしろスリルと冒険を求めているらしいのだ。何故なら、そうでなければ種として進化していけないからだ。進化できなければ、その生命体は環境の変化に柔軟に対応できなくなって、種としての存在意義を失う。それはそのまま種の絶滅を意味する。
宇宙の法則は、過酷なくらいシンプルに設計されている。アメーバーであろうがネズミであろうが、化学実験データーによると、ひどい扱いを受けた方のアメーバーやネズミの方が、明らかに成長が早く、もちろん動きもエネルギッシュなのだ。逆に、快適で何のストレスも与えられなかったアメーバーやネズミの方が、その成長と繁殖にもっとも適した状態を常に維持したにも拘らず、快適で何の変化のない環境でいると少しずつ衰弱し、しまいには死んでしまうことが証明されたのだ。
そんな訳だから戦争が起こると、逆にその国の国民の自殺率が急に低下したり、国民の生活を国家が保障している社会保障先進国のデンマークやスウェーデン等が世界で最も自殺率が高いというのも、まあ、これで何となくうなずける気がする。
人生は豊かさから始まる
毎朝、人は深い眠りから目を覚ます。寝ぼけた足取りで浴室に向かい、目覚ましのシャワーを浴び、鏡の前で髭をそる。いつもとなんら変わらない一日がまた始まろうとしている。今日という日は、我われに何をプレゼントしてくれるのだろうか?それとも、今日という日が偶然降りかかってきて、手も足も出せないまま、我われはされるがままに、毎日を受け入れているに過ぎないのだろうか・・・
たぶん、そうなのだ、それに間違いない。人生なんて、せいぜいピンボールの玉みたいなものなのだ、と我われは直ぐに結論を出してしまうかもしれない。もちろん、そんな考え方もあるだろうし、それが間違っているとも一概にいえない。でも、なんとも効率が悪い。もし最初に幸せで素敵な気分なら、もっともっと効率的に、しかもスピーディに旅路を歩んでいるはずである。
まあ、いずれにしても我われは、人生の出来事の意味を必死に探ろうとする。しかし客観的には人生に意味はない、といえる。悲運な出来事や、様々なワクワクする体験そのものには、はっきり言って意味なんてないのだ。
人生のどんなものにも、じつは意味なんて何もないのだ。
何故なら、それは存在のすべてである宇宙の神からの贈り物だからだ。(ここで一言付け加えさせていただくなら、私は決して具体的な宗教のことをとやかく言っているわけじゃない。誤解しないで欲しい。そういう意味では、むしろ私は無神論者に近い)意味なんてないからこそ、どんな意味でも与えることができる自由が、いつも用意されているのだ。我われは、人生のさまざまな出来事やあらゆるものとのスタンスを、自分好みに決定し、自由に再創造することができる。つまり人生の犠牲者から、人生の所有者に変身してしまえるのだ。
そうなのだ、我われはいつでも選択権と主導権を持っている。信じられないような逆境にいるから、自分は不幸なのだ…幸せになるには、絶対にあの人と一緒にいなければならない…あるいは、心が満たされるには、どうしてもあの別荘と何がしのお金を手に入れなければならない…と思い込んでいる。
でも本当のところは、そんなことはまるで関係ないのだ。あなたは、この瞬間にすでに完璧なのだから、幸せになるのに、さらに必要なものなど何もないのだ。幸せに必要だと思うものがまるでなくとも、あなたは、幸せになることはいつでもできる。
要は、ただ幸せになる、とあなたが決意さえすればいいのだ。
ただ、それだけで幸せになれる。人は生まれた瞬間から完璧で、何ひとつ足りないものはない。だから、思いっきり豊かさからスタートしよう。目的地に着いてから楽しむのではなく、旅そのものを、その一瞬一瞬のプロセスに没頭し、我を忘れて楽しもう。それだけが人生を成功させる魔法の秘訣なのだ。
結局のところ、幸せは、経験や感覚ではなくて、意志そのものなのだ。あなたに必要なものは、物理的な外側にはなく、すべてがあなたの内側にある。あなたのすべての体験は、あくまで積極的な意志決定と選択の結果であって、絶対に原因ではない。
『終』
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