未来は牢獄の中で創られる No.3【2003年9月4日】
「自由」であることは無だ。「自由」になることが天国だ
私たちは生活の中でいろんな願望や夢を描きます。しかし自分の都合のいいようには作られていない社会制度のさまざまな障害や困難さにぶつかると、多くの一般人は,すぐに夢から覚めたように、やりたいことを諦めてしまう。
自分には夢を実現する能力もないし、それに、いまさら進路変更して、自分のことで周りに迷惑をかけられない、と思ってしまう。この夢のせいで、自分の生活環境が破壊されるとしたら、とても耐えられそうにない。一時的な子供っぽい熱情にかられて、安定したこの生活空間を放棄するなんて,誰に相談してみたって馬鹿げているって言われるに決まっている。何やかやのストレスで、きっと間がさしたに違いない。明日になれば、きっといつもの自分に戻れる。
この文章は、ニュースや情報が持つ恐るべき欺瞞や嘘を暴くために書かれている、と言い切ってもいい。私たちは、一生自分自身を騙し続けて生きていく可能性が高い。様ざまな嘘やプロパガンダ、地球的な規模で起こる事件やニュース報道が発信する洗脳戦略を見破り、その情報の正体を明らかにしない限り、ありもしない恐怖に支配されたまま、私たちは人生の犠牲者になってしまう。
私たちがどのように自分自身をだめにするのか?「望みどおりの結果にならなかったけど、それが一体どうした?そんなことは最初から予想していたよ。人生なんて、そんなもんさ」と思ってしまう。一方それは、生きやすい人生でもある。アメリカの企業トレーナーのスティーブ・チャンドラは言う。
「こんなにも多くの人が自分に嘘をつきながら生きているのは、それが効果的だからにちがいない。嘘をつく人生は簡単だ。ベンチの隅っこに腰掛けていれば、世界から取り残されて恥ずかしい思いをしても、顔を隠してしまえる。
私たちが自分に嘘をつくのは、ようするに怖いからだ。未知の物に対する恐怖、新鮮で美しいものに対する恐怖、思いきって、見知らぬ美しさの中に飛び込むことへの恐怖、不確かなものへの恐怖、勇気をもち、進歩し、創造的になることへの恐怖、愚かしさをさらしてしまうことへの恐怖。偉大さを目指すことへの恐怖。
人は恐怖のあまり自分に嘘をつく。嘘をつけば、いつでも簡単で楽な方法を選ぶことができる。真剣に取り込まなくてすんでしまう。まったくの不確かなものから未来を築くことを、避けることができる」と。
人生の幸せは、自分から積極的に選択することができる心の強さを持つことに、すべての魔法が隠されている。この世の中というものは、天国でもなければ、絵に書いたような理想社会でもない。そんなことは、思春期の時にはわからなくても、社会人になれば、誰だってすぐに気づかされる。生きていれば何らかの支配を受けるし、様々の規制の枠の中で、理不尽なやり方で小突き回されることになる。予期もしない場面で、こちらを怯えさせる。
問題は、それが外側の圧力なのか、内側からの積極的な選択なのか、なのだ。内側か、外側か、ふたつにひとつだ。スティーブン・チャンドラが語っていた体験談を、多少長くなるかもしれないが、ここに引用したいと思う。彼は自分の若い頃の体験を交えて、こう続ける。
「私たちは、未熟な内は外側からコントロールされる方がいいと思ってしまう。誰かが幸せにしてくれるのを待っている。何か『いいこと』がおこらないかなと、そればかりを考えている。本当に私も勝手そうだった。幸せは、ここではない。どこか遠いところにあると思っていた。そして、なんとかしてその幸せが自分のところに来てくれないかと、そんなことばかり夢見ていた。
何かいいこと、自分が完全に自由になれるチャンスを、待ちこがれていた。ほら!私の船だ!絶対に来てくれると思っていたのだ!幸せの船はいつでも自分の中に停泊していたことを、その時の私はまったく知らなかったし、知ろうともしていなかった。
そしてある日の空港でのこと、長いセミナーの後でぐったりつかれ、つぎの町に行く飛行機を待っていた私は、ノートにメモしていたキルケゴールの言葉を、たまたま目にしたのだ。
『制限の法則は、唯一の貯蓄の法則である。自分の行動を限れば限るほど、あなたの想像力は豊かになっていくだろう』
私は急いでカバンを取り、イギリスの楽天主義哲学者コリン・ウィルソンが書いた大好きな本を取り出すと、それを読み始めた。すると、始めて呼んだときの興奮がまたよみがえってきた。キルケゴールが言っていた制限の原則は、人間の幸福は、自分を律するかどうかで決まるということを認識したものだ、とウィルソンは言っていた。彼はまったく正しい。私にもそのことがよくわかった。
面白いことに、何かひとつのことに気がつくと、それを裏付けるような証拠が次々と見つかるものだ。ウィルソンの本を読んでまもなく、私はテレビで戦争捕虜についての番組を見た。適当にチャンネルを変えているときに、たまたま見つけたのだ。その番組は、ベトナム戦争で二年以上捕虜になっていたアメリカ兵に関する調査をもとにしていた。その調査によると、捕虜になっていた人たちは、同じ世代で捕虜を経験していない人よりも、健康で幸せな人生を送っているのである」
「つまり、捕虜になったことが、彼らの人生に何らかのよい影響をもたらした。捕虜生活という厳しい制限を経験したことで、そこから開放されたあとの人生が、より活動的で生き生きとしたものになったのである。
私は父のこと、そして、友人であり師匠であるスティーブ・ハーディソンのことを考えた。二人とも父親のない家庭に育ち、経済的にとても苦しかった。そして成長してからは、まるで貧乏に復讐するようにお金を稼いだ。父もハーディソンも、若くしてお金持ちになった。まさに制限の力だ。
そしてその後に、あるイランからの移民の男性ビジネスマンふたりとランチを共にした時の話を付け加えている。二人とも十代の初めのころに家族と共にアメリカに渡り、いまは三十代後半になっている。彼らは、貧しく自由のないイランでの悲惨な生活の実態を話してくれた。そして、アメリカに来られてとても嬉しかったと言った。
二人のキャリアは、まずテキサス州のサンアントニオに自動車部品の小さな店を開くことから始まった。そして今では、テキサスでも有数の新車販売店を経営し、15以上の支店を構えている。先日、彼らのビジネスを30億ドルで売ってくれというオファーがあったが、彼らはそれを断った。
『あなたたちアメリカ人は、自分がどんなに恵まれているかわかっていない』彼らの一人はこの国で偏見や不運と戦いながらついにビジネスを成功させたいきさつを、大いに笑いを交えながら話しているときに、そう言っていた。
『ほとんどのアメリカ人は、自分が楽園にいることに気づいていない。チャンスに溢れた国に住んでいるのに、そのチャンスを見ようともしない。みんな何年かイランに住んでみればいいのだ。まったく!そのほうが、あなたのセミナーよりよっぽど効果がありますよ。イランでの一年、アメリカに戻ってくる頃にはすっかり変わっているだろうな。きっとものすごく成功しますよ!』
厳しい制限を経験すると、人はそれを埋め合わせようとして懸命に努力する。そして驚くべき成功を成し遂げる。私はそれを知ったことで、哲学者フィフテが言った言葉が理解できるようにった。彼はこう言っている。
『自由であることは無だ。自由になることが天国だ』」以上が、スティーブ・チャンドラの体験談からの引用だ。
「自由」とは自らの意志で「選択」するもの
そんな訳で、私たちが夢や目標を持ちつづけるには、結果的に強靭な意志が必要なのだ。だから貧しさに耐えてきた人や逆境を乗り越えてきた人達が成功者に多いのだ。人生の本当の力は、制限や抵抗や逆境やショックを乗り越えることでしか得られないのだ。今度は『日暮硯』の中に記された鳥籠物語から引用しよう。
信州松代藩の六代目の城主真田幸弘公が学問に熱中されるのを見て、お側衆の山寺彦右衛門が、身体のことを心配して、慰みに小鳥を飼うことをおすすめした。
幸弘公は彦右衛門のすすめにより、まず鳥籠をつくることとなり、作事奉行を呼んで三畳敷にもあたるような立派な鳥籠をつくられた。そして彦右衛門を呼んで、これを見せ、翌日、彦右衛門の好きな献立で二人前の料理を作らせ、彦右衛門は鳥籠の中で、幸弘公は鳥籠の前で一緒に食事をすることになった。
「なんなりと、気に入ったものをどんどん食べるがよい」と幸弘公はすすめられ、お菓子、薄茶、濃茶までご馳走された。食事が済んで、二時間あまり、世間話をしてもまだ、鳥籠の中から出てよいという仰せがない。彦右衛門は心細くなり、
「なにとぞ早く出してください」と嘆願した。「いやいや出すわけにはいぬ。一生その中にいて、何なりと望みどおりのものを取り寄せて食べさせるから、好きなものを心にまかせて取り寄せて食べていてよろしい……」と仰せられて、いっこうに嘆願を取り上げられる気配もない。彦右衛門はあげくの果ては涙まで流して嘆願したので、ようやく鳥籠から出ることが許された。
幸弘公は彦右衛門に、
「そちの屋敷でふだん起居する部屋は十畳か八畳、かなり広いだろう。その居間からみれば鳥籠の中は少し狭いが、それでも三畳はあるからさして狭いとはいえまい。しかも、仕事をするのでなく、大小便のときは外に出し、山海の珍味は望みにまかせて食べさせるのだから、どうみても不自由だとかいうはずはないのに、鳥籠から一歩も出てはならぬと命ずると、苦しがって涙を流し、わびごとをいうではないか。まして鳥類は広々とした天地を住まいとし、大空をかけめぐるものである。狭い鳥籠の中に入れられては、どんなに苦痛かしれないではないか、いかに鳥類だからとて、生命あるものを慰みとする法はない」と戒められたという。
どんなに周囲から面倒を見られ、恵まれた環境にいても、自分で計画し、行動するという自由が奪われては、生きがいを感じられないものである。自分で働いて食っていくことの積極的な尊さ、社会で働くことの過酷な規律もあるが、その制限を克服して、自分を律することに中に、自分の成長と生き甲斐があることがわかってくる。
ところが現代の日本人である我われは、必ずしもそう思わなくなってきている。出来るだけよい環境で、自分はあまり働かず、楽をするのが幸福である、と思うようになっており、そういうふうに心掛けるようになっている。
つまり、あまりにも性急に自分の希望や夢を実現しようとする傾向が、特に若者に多くなってきている。現代っ子は、小さいころから暖冷房の完備された文明の利器にかこまれて育ってしまっているから、欲しいものは、自分から努力しないでも向こうから勝手に与えてくれるので、自分から積極的な何かを獲得しようという気持ちが少なくなってしまっている。
しかし、鳥籠物語にもあるように、幸福感とか、生きがいというものは、自分で計画し、自主的に闘いとることの中にのみあるのだ。経営心理学のパイオニアである松本 順氏が著書『自己啓発』の中で説明している文章を、最後に引用する。
「何かを計画し、これを達成するために夢中になる(緊張する)。そしてこれが達成されたときに『やったぞ!』という達成感とともに、いままでの緊張が一気にどっと発散される。このように緊張→発散→快感を通して生きがい感が味わえるのが、心的な法則である。生きがい感というものは、自分が何もしないで、周囲の人から与えられることによって得られるものではない。
ところがいままでエアコンや自販機に囲まれて育った世代は、生きがいというものも与えられるものだと思い込んでいて、自分の希望や夢を実現する環境も、安易に与えられるものだと思い込んでいて、心の法則である、自分の努力によって希望や夢を実現していくものだ、ということに気づいていない。そして、希望や夢がすぐにでも実現できる環境にないということがわかると、大きな絶望感を持ってしまう」
「当然のごとく、自分の希望を実現するために困難に耐えていこうとする気持ちも持てない。どんなに素晴らしい環境にいても、何もすることがなければ、それは死にまさる苦しみなのである。この辺のことがまるでよくわかっていない。
むしろ環境は必ずしも恵まれていなくとも、その中で計画を立て、夢中になり、あるときは失敗し、あるときは傷つきながらも、緊張→発散→快感という行動の中で、自分を進歩・発展させ、自分の可能性を切り開いていく。こういう生活の中にこそ、本当の生きがい感があるということに、早く気づくべきである」
もし私たちが本当に自由を、大いに人生を楽しみたいと考えるなら、一日も早く常識という鳥籠から出る決意をして、個々に与えられた自由の天地に向かって、積極的に羽ばたくべきなのだ。
『終』
--->記事一覧へ |