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寒さにふるえた者ほど太陽をあたたかく感じる No.572005年1月24日

■「圧政」か「自由」かの選択をせまるブッシュ

ワシントンの連邦議会議事堂前でおこなわれた就任式で宣誓し、二期目のブッシュ政権が正式にスタートした。そして「世界平和実現のための最良の道は、全世界に自由を拡大することだ」と就任演説で語った。しかし私たち日本の国民にとっては、ブッシュの使う言葉の意味がなかなか理解しにくいのだ。

47回もフリーダムという単語が繰り返される『平和実現のために自由を求める』という宣言は、確かに私たち日本人好みの言い回しなのだが、ブッシュ大統領が語るフリーダム(自由)と、日本人が頭の中でイメージする自由とは、言葉は同じでも、 その現実的な内容 はまるで違うのだ。日本の小泉首相がよく使う「改革」という言葉同様に、本来の言葉の意味と、まったく逆の意味に使われる流れになっている。ブッシュ大統領と小泉首相の「自由」と「改革」ということ言葉を、「破壊」という言葉に置き換えたほうが、むしろ本来の文脈の意味に収まるようである。

そしてもちろんすべての国に対して、「選択は圧政か自由のどちらかだ」と迫ることで、ブッシュ政権の価値観に同調するのか否かで、第1期と同様に「敵味方」を色分けするやり方を忘れてはいない。またリンカーン大統領の言葉を引用して「自由を否定するものは、その地位に留まれない」と警告している。ブッシュ大統領の愛人と噂されるライス次期国務長官は、上院の指名承認公聴会でイランや北朝鮮を筆頭にして、キューバ、ベラルーシ、ミャンマー、ジンバブエの6カ国を“ outposts of tyranny (圧制の拠点)”と、すでに名指ししている。( 参考記事

はっきりいって6カ国とも現在のアメリカの軍事力を持ってすればすべて弱い国ばかりである。それらの国をあえて「圧制の拠点」と名指すことで、フセインや金正日ばかりか世界のすべての国家に対して、まるでマフィアの大親分みたいに、アメリカの好き勝手なタイミングで恫喝することが可能となったのである。そして、あわよくば9.11同時多発テロやスマトラ島沖の大地震のようなタイミングのよい偶然を利用して、一気にアメリカの覇権を強化して、この地球上の「資源と食料と情報」の三つを支配し続けようとしているのである。

■マニフェスト・デスティニー(運命的使命)こそが崩壊の根拠?

そんな風な共和党のブッシュ政権とはいえ、日本の国益として日本を常に自虐的なプロパガンダを使って弱体化しておこうとするアメリカ民主党政権よりは、はるかにマシであると私は考えている。なぜならブッシュ共和党政権は、少なくとも戦後の呪縛である吉田ドクトリンからの解放と、「強い日本」を望んでいるからである。

感情的な思いは別にして、日本の地政学的な立場を冷静に考慮するなら、ブッシュ共和党政権はある意味でワルの戦略と言えなくもないが、日本の安全保障上の未来を冷徹に見据えるなら、お互い海洋国家同志ということで今後とも連携し利用しあう戦術が、今後中国やロシアや北朝鮮等の北東アジアのランドパワー勢に対しても、取りあえず足元をみられないために有効と思えるからである。

 

ブッシュ大統領は、自由拡大のためにイラクを自分勝手に先制攻撃し混沌状況に導いたのは、それによって中東におけるOPEC諸国の権威を失墜させて、その間に石油の調達を西アフリカやロシアに新たなルートを確保してしまおうと企んでいるようである。ドル基軸体制に圧力をかけようと企むOPECに依存しなくても、いつでもアメリカが石油を確保できることを証明する流れをつくることで、もう一度ドル基軸体制を復活させようと、あえてアラブ諸国を混乱させているようにみえる。

アメリカにとっての「平和と自由」は、この地球上の「資源(石油や水やウラン等々)と食料と情報」の三つを支配するためには手段を選ばないということなのである。アメリカの覇権維持のための本当の理由は知られるわけにはいかないから、どうでもいいウソの口実をいろいろとデッチ挙げてイラク戦争を始め、「テロとの戦争」や金正日や中国を仮想敵国とすることで「危機」を常に創造していくことが、アメリカのマニフェスト・デスティニー(運命的使命)なのである。ようするに、アメリカだけが世界を民主化できる特別な国であって、ドル帝国主義の覇権によってのみ、自由の拡大が可能となるということらしい。

ちょっと日本人の感性では理解できない考え方である。これはやはりアングロサクソン的な考え方であり、宗教右派、或いは福音派とも言われるキリスト原理主義的な考え方でもある。キリスト教もユダヤ教もイスラム教も、元は同じ一神教で、神はひとつで聖書というバイブルに従った教えである。日本人である私の目から見ると、どうやらこの辺に原因があるような気がしてならない。100年単位のマクロ的な視野に立ってアメリカのドル帝国主義を眺めるなら、マニフェスト・デスティニー(運命的使命)こそが、自らを内部から崩壊させる最大の根拠となるにちがいない、と私は直感する。

■「神道」と「天皇制」のシンクロ二ティ

私たち日本民族の感性を長い歴史の中で育んできた「神道」には、バイブルというはっきりとしたものがなく、あらゆる自然に神が宿っていると信じ、その神と一体となるために「祭り」を行い、その神と触れることで、末永く日本民族を守ってくれる約束事としての「祭事」を、神になり代わって行なっていただける生き神様としての存在が「天皇」ということなのである。このような日本民族のバイブルなき「神道」は、多様な変化を見せる様々な自然を神とする多神教であり、こうでなければならないとする限定された経典のない大らかな宗教なのであり、すべてを包み込むマトリックス(母胎)なのである。

「天皇」は大いなる自然(神)と民を結びつける特別の存在であるものの、武力や権力による支配ではなく、あくまで「象徴」として崇められることによって民と一体となって存在し続けてきたからこそ、歴史上の軌跡として、「天皇家」は現代まで生き延びてきたのである。もし「天皇」が権力や武器によって覇権をおこなっていたなら、とうの昔にその家系は消滅してしまっていたにちがいない。

そして今、天皇家に女帝論が議論されている。現在の日本は、アメリカの金融資本によってバブルを崩壊させられ、ほとんどの一流企業が国際金融勢力に乗っ取られようとしている危機に遭遇している時期である。そんなタイミングの時に女帝が誕生すれば、その配偶者に、国際金融勢力の息のかかった人物を押し付けられる可能性が高いのである。そんな流れの中から子息が即位される事態がうまれれば、日本の本丸が乗っ取られてしまうことになってしまう。

だから私には、雅子皇太子妃のいう皇室外交やら、皇室外交を進めるために皇太子妃以外にも外務省の幹部の娘さんを選定しようとする流れも含めて、国際金融勢力の謀略の匂いを感じてしょうがない。こんな不安定な政治状況のときに、外務省出身者を宮内庁に多用し、皇室が欧米よりの姿勢をとる流れは、日本と日本民族の存亡の危機である。つまり、女帝論議はエージェントによるプロパガンダである可能性が高いように思う。

 

まあ、とにかく125代も延々と続く天皇家を生き神様として敬ってきた日本民族は、世界的にも特別な民族なのである。日本人が作った使い勝手のいい車や電化製品やゲーム機が世界中の人々に愛され、日本人が作るラーメンやフランス料理やカレーライス等が、それぞれの本場のものより美味しいと言わせてしまう不思議エッセンスを、日本人は生まれながらにして持っているのである。海洋国家である日本民族は、人類のもっとも進化した不思議な民族なのである。とにかく日本人はもっと自信を持つべきなのである。

■失われた自己性

 

失われたマトリックスを求めてNo.37のコラムの「 こころの道としてのタオ」 で触れた「雨乞い師の話」について、ここでもう一度触れてみたい。話の展開がつかみにくいなあと感じられた方は、できればNo.37のコラムをもう一度読み返していただきたい。ずっと理解しやすくなると思う。雨乞い師によると、彼が訪れた旱魃に悩まされていた地域は「秩序の乱れた地域」であるといい、「秩序の乱れた地域に住んでいる」ということは、心理学的に見て、「自我」が見えない潜在的秩序から離れた状態を経験していることを意味するのだと語る。

そういう状態では、不安や恐れの情動がみられたり、物質的に欠乏状態になったりする。そして努力が足りないという感じや、将来も十分でないだろうという恐れは「旱魃の気持ち」なので、現実でも実際にその通りになると予言する。そうなると、誰もが無法な心理的ジャングルの中で争うような気分になり、「自分がナンバー・ワンになろう」とする略奪者たちで世界がいっぱいになってしまうと予想する。

雨乞い師は、この秩序が荒れた地域にやってくると、静かな小さな家に引きこもり、3日間外に出ないで、彼が「タオに帰って自然に雨がやってくる」まで、じっと待っていたと言う。タオに帰るということは、心理学的にいうと、万物の根底にあって万物を養っている一なるものの一部である自分を再び経験することであるとする。タオに帰るということは、「私は再び中心につながったと感じ、人生には意味があるという感覚に触れた」ということを、別な形で表現しているということである。

そしてタオに帰るということは、「私は何事であれ、必要なものを与えられるであろうと信じて、明るく生きてゆける」ということを意味しているのだと話す。「そうすれば自然に雨がやってくる」ということは、共時性についての雨乞い師の原理なのだという。内なる世界が共時性を通して外の世界を反映しているとすれば、たましいの内面においてタオに帰るなら、当然の結果として、自然な秩序が回復して、雨が戻ってくることになる説である。

この雨乞いの逸話は、象徴的な形でキリスト教の聖杯伝説にも通じるところがある。その場合は、さびしい荒れ果てた地方の物語で、家畜は仔を生まず、穀物は育たず、騎士たちは殺され、子どもたちは親を失い、女たちは泣き、至るところで悲しみが満ち溢れています。この地方のすべての不幸を原因は、傷ついたフィッシャー王に関係があるという流れである。

聖杯は彼の城にあるのですが、王は、ひとりの汚れのない若者が宮廷にやってきて「聖杯は誰のためのものなのか?」と問うまでは、聖杯に触れることも、それによって傷を治してもらうこともできないと予言されている。聖杯は、イエスが最後の晩餐のときに弟子たちと使った伝説の杯で、キリストを象徴している。それはまた自己性(キリストと自己性は、どちらも人間的なものやエゴを越えた何かを表している。それは神聖で、霊的で、調和をもたらし、意味を与えてくれる何かということである)を表している。

もしその地方を支配者が、つまりエゴが聖杯に触れることができ、自己性という内なるキリストを体験することができさえすれば、それは彼を癒す力を示すことになる。彼の傷が癒されれば、共時的に、その地域の不幸な状態は一気に回復する流れになる。再び喜びと平安が戻ってくる。つまり王の傷は、エゴというものが内なる自己性から切り離されている状態を象徴しているわけなのである。分離されていることは、治ることのない傷を意味し、いつまでも続く不安と苛立ちの形で苦しみを引き起こすことになるという。

ようするに、フィッシャー王の傷とは、現代の私たちの問題なのである。現代の私たちの社会は果てしなく競争的で、物質主義で、「霊的な価値」に対する嘲笑に満ち溢れている。「神」は現実的な意味でその意味をほとんど失い、精神世界の精妙な「存在」に気づくこともなくなったために、私たちはお互いに切り離され、自分は「無意味な存在」だと感じてしまう。その孤独を癒すために限りない性の交わりを求め、肩書きや物やブランドや権力に執着することで、自分の無意味さから懸命に逃れようとあがくことになる。

私たちが「神」と内面的に結ばれているとか、タオやマトリックス(母胎)の一部であるという感覚を失っている時には、タバコを吸うことから始まって権力をむやみやたらとふるうことに至るまで、いつまでたっても満足することができないエゴの罠に陥ってしまっている。現代のナルシズムは、霊的な欠乏にとらわれ、目新しいハイテクを求め、偽装された興奮と特権を求めて、内面から来る平安や至福が欠けていることを必死に補おうとする。

これこそが現代の私たちの「傷」であり、エゴという、自己性(存在)やマトリックス(母胎)から切り離されていることの結果なのである。つまり、豊かさや愛ではなく、欠乏の罠の虜になってしまっているのである。私たちはいつでも旱魃(ひでり)という欠乏状態で暮らしていて、人生という孤独で無意味な体験を繰り返しながら、愛のない渇いた風潮がいたるところに満ち溢れ、決してやってくることのない雨を待ち続けているのである。

■「世界自然遺産」屋久島の未来への挑戦

もちろん世界に向けたアメリカのドル帝国主義のペルソナの仮面の下にも、苛立ちと欠乏のどろどろした情念が隠されている。そしてアメリカはいま、この地球上の「資源(石油や水やウラン等々)と食料と情報」の三つを支配するためには、その手段を選ばない覚悟のようである。それがアメリカのマニフェスト・デスティニー(運命的使命)なのである。石油の枯渇が心配される中で、各国では、新たなエネルギー源の開発に躍起になっている。今後のエネルギー産業の勢力地図を書き換える可能性がある。

その新エネルギーとは、いうまでもなく水素エネルギーである。2003年1月、ブッシュ大統領は一般教書演説で、水素エネルギーに多額の研究費を投入することを発表した。具体的な目標としては、2020年までには、アメリカの多くの国民が燃料電池自動車“ fuel cell-powered cars ”に乗れるようにするというものである。予算規模は、5年間で17億ドル(約2040億円)である。

この水素エネルギーの実用化が進めば、従来の石油政策はすべて崩壊するという。「20世紀は石油の世紀だったが、21世紀は水の世紀である」というこの言葉の真髄は、まさにエネルギー革命の点にあるわけである。水素は様々な製造方法があるのだが、やはりなんといっても水から作るのが簡単なようである。水H20は水素と酸素からできているのだから、電気分解さえすれば簡単に水素が発生する。この水を原料とした水素製造に力を入れている企業が、実は日本の鹿児島県の屋久島にある。

1993年、屋久島は日本で初めて「世界自然遺産」に登録された。年間4000〜1万oの雨が豊かな自然を育んできたからである。この豊かな水と標高差を利用して、島には至るところに水力発電装置が設置されている。人口1万4000人ほどの島に、30万キロの発電をおこなっているから、電気はあり余っていることになる。

そんなわけで余った電気を使って「水」を電気分解すれば、非常に安価に「水素」が大量生産できるわけである。まだ「水素」の値段はガソリンの4倍近い値段だが、これが劇的に下がるのも遠い未来ではなさそうなのである。屋久島電工のもとにはすでに、ドイツのBMWの関係者が訪れ、密かに接触を開始したという。またビル・ゲイツや大富豪のウォーレン・バフェット等も水素エネルギーに関心を寄せ、日本の技術に投資を始めたようである。どうやら「水素を制するものは、世界を制する」という新たな潮流が始まったようである。いま時代は石油から水へと流れが移ってきている。

確かにアメリカ東部の保守本流による日本弱体化政策によって、金融敗戦による経済低迷が恒常化し、地方経済は見るも無残に崩壊し、大学出の若者がまともな仕事につけず、中年世代はリストラ旋風に巻き込まれ、自殺者は激増するばかりの悲惨な側面があるとはいえ、それでも「精神」の自立さえ可能なら、海洋国家である日本の未来も、そんなに捨てたものでもない、と私は思うのである。影の向こう側には、必ず光が輝いているからである。

 

■追伸

会員サイト「虎の穴」の立ち上げが少し遅れています。もしかしたら2月の中旬ぐらいになるかもしれません。もうしばらくお待ちください。

 

 

 

《主な参考文献および記事》

(本記事をまとめるにあたり、次のような文献および記事を参照しました。ここに、それらを列記して、著者に感謝と敬意を表すると共に、読者の皆様の理解の手助けになることを願います。)

★  失われたマトリックスを求めて No.37 【2004年6月5日】 千葉邦雄

★  ブッシュ大統領が就任演説「全世界に自由を拡大」 2005年1月21日 読売新聞

★ タオ心理学 ジーン・シノダ・ボーレン 湯浅泰雄監訳 (春秋社 1987)

★ ウォーター・マネー 浜田和幸 (光文社 2003)

『終』

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